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日記

大正七年

二月一日

 Friday, 今日から Miss. Rentz 君を English の教師とする、午後市俄古の木村氏及び新来の荒井氏来る、久保田君之を伴ふ、共に出かけて Pay(※1)oda に行く、佐藤、丸井、松尾氏等と会食し余は Marryland に Sala Bernhardt を見るべく行く、 Standing なり、石田松本両氏も来る、日本人の曲芸を見得て快、本物は只今は歴史的の興味あるのみ。
 編者記 欄外に下の二文あり。
Corner 氏は Holbain, Van Dyke, Jones. Turner, Watt, Rubens Hooper 等の略伝と其等の絵に就て語る。
Sala Bernhardt の芸は寧ろ腹芸に属すべきもの其音声は若し、仏語を知らぬ米人が頓珍漢の顔付は蓋し奇観也、それでもそれを見に来る所はさすがにえらし、筋は際物で戦争を呪ふ所也、森の背景はさすがによし、鉄砲で打たれて死の刹那は日本人にとりて大に勇ましきもの也、然しこれが亜米利加人に了解し得るやは蓋し奇観なり矣。

二月二日

 Saturday. 午後三時に Miss. Rentz 君を訪問し原稿を直して貰ふ、 Mrs. Rentz 氏と日本の事を語る。夜石神君泊す。夜 Rennert に行く、玉突は一向に発達せず尤も進歩しようとも思はず。

二月三日

 午後四時頃久保田君を訪ね松尾君と共に支那料理 Little Peking に行く、佐藤丸井両君来る、新年号の医海時報を見る、別に変つた事なし。

二月四日

 Monday. Windy severe coldness!! 午前 Medical School の Library に行きて Literature を調べ十一時 Miss. Rentz に英語を教はる、午後 Manuscript を愈(※2)書き上げて Coca 氏の許に送る(、)(※3)手紙の文句は
 I am very happy to send you my Letter and manuscript, but ( I )(※4) am sorry that I shall trouble you so much on account of my poor English. I shall be very glad to rewrite it, if necessary, after having been corrected by you.
 I should not like to spend my time without any laboratory work, but while I am staying here, I will intend to study principles of biometry and vital statistics on which I have to lecture at our university after I returned home.
 When this severe coldness which I have never experienced has begun to leave this country, I shall be very happy to set to my research work at your laboratory. Hoping to see you in March.
 夕食後 preacher (同じ table の)から Bible の講義を聞く(、)(※5)大に愉快を感じたり。今日 Post station に行きしに今日は Monday で heatless Day でありし為 store を兼し家故 close せられて閉口せり、扨も扨も。

二月五日

 Tuesday. 寒気凛烈、午前及午後図書館に行く、夕方佐藤君の実験室を訪ねる、丸井君来合せて共に支那料理パゴダに行く、後更に佐藤君と共に実験室に居て語る、 Dr. Kramer 夫妻と語る。

二月六日

 Wednesday. 今日咽喉を痛めて吸入などをなす、少しは気温高し、夕方四時頃銀行へ行きしに close せられて居て夜は Hotel へでも行きて泊し風邪を逐はんとすれ共 Hotel Broadway はあまりに小さく、 Stafford には 3$ にても bath なく、 Belvedere を駄目なりし故 Gayety に行きて踊りを見後家に帰る。

二月七日

 Thursday. 春の日の如き暖かさ也、風邪去らず。

二月八日

 Friday, 今日朝銀行へ金をとりに行く途中 Baltimore Street の繁華なる街上で二人の男が場所を聞いて金を見せたりして誘惑せんとしたけれど応ぜず “Hold up” を免れたり、夕方丸井君を訪問し日本酒に舌皷を打ちて帰り来たる。

二月九日

 Saturday, 雨少し降る。今日 Coca 氏より手紙来りて未だ Manuscript 到着せずと云ひ来る、後郵便局に到りて trace し来る、又 Western Union から Coca 氏に電報をかけておいた、それから regenerate せんとて Typewriter にて働く、午後石神及吉田両君来る、吉田君は食事後まで居る、後玉突に行き Chop Leny に行きて帰る。

二月十日

 Sunday. 晴 今日は朝から晩まで Typewriter にて勉強し夕方に原稿を書き上ぐ。六時に日本店に行き岡野君(旅順工科学堂教授)の送別会を開く、帰りがけ佐藤君の教室に立寄る。

二月十一日

 Monday. 晴 今日は紀元節也。 Coca 氏より原稿遂に到着の旨報じ来る(、)(※6)折角 regenerate したのが無になりしも滑稽也。午後佐藤君を訪ね夕方丸井君と三人にて Gayety 座に行きて踊りを見る、夜佐藤君泊しに来る。

二月十二日

 Tuesday. 夕方になりて松本氏と共に久保田君を訪ふ、鉄道院の菊池法学士及び丸井君居合せて深夜まで語る。

二月十三日

 Wednesday. 晴、暖かし。夜 Peabody Institute の Art の Lecture に行く、Mr. Ephraim Keyser 氏の“Sculpture in Its association with Architecture”なる講演を聞く、多数の Demonstration あり。

二月十四日

 Thursday. 晴 Valentine!! Cubit! Eros!
 午後 Medical School に行き New Hygiene School の catalogue を取りに行く、暫く久保田君の教室を訪ね家族の様子を見て来る、後後藤君を訪ね Dr. Howland に紹介せられたり。夜 Miss Rentz 及其 Mother 及松本氏と Patterson Park の Casino の Mother's meeting に attend して Japan に関する Talk をなす、後色々の遊戯に加はり又 Dancing を教はりなどして帰る、大に愉快なりき。夜 fog 深くして美観なり。

二月十五日

 Friday. 今日も日暖かし。午後空腹を感じて Little Peking に行き食事をなし後 Douglas Fairbanks の活動写真を見る。

二月十六日

 Saturday. 晴、少しく寒くなる。午前石神君来り昼食事を共にす。午後松本氏と共に Peabody Institute に行き Art Gallary を見る、中に見るべきものあり入場料 25 C. は少し高けれども現代の当地の画風を見るには適当なり、Post Impressionist の作も多く見られたり、夜は Rennert に玉突きに行き後支那料理 Pagoda に行く。

二月十七日

 Sunday. 寒き風吹く、晴。午後三時頃石田松本両氏と Peabody Institute にて落合ひ後三人して佐藤君の Tea の招待に侍る。松尾、吉田君も来る。Mrs. Bramble 後 Miss Wisstzky 両氏も共に Table にありて面白く撮影などし後広東楼にて支那料理を食べ帰りがけ歩く。

二月十八日

 Monday. 晴、少し寒し。午前 English の lesson を取り午後 Medical library に行く、夜は宣教師 Kuldell 氏の Bible の話を聞く。

二月十九日

 Tuesday. 雨降り。午前 Medical library に行く(、)(※7)Pyro. Chem. Co, から歯磨きの見本を送つて来た、夜久保田君来り松本氏の室にて大に飲み大に語る。

二月二十日

 Wednesday. 午後 Patterson Park の Casino に Miss Rentz の幼稚園教授を見に行き日本の歌などを子供に聞かせる、帰りがけ一寸丸井君を訪ねて語る。夜 Mc Cay Hall の演説会に行き(松本氏と)Dr. Bendick などの話を聞く、Dancing などを見て帰る。

二月二十一日

 Thursday. 寒し。今日 boarding に飲食ひに行く途中永井先生よりの手紙を受取り大に嬉し、再三繰返し読む、一日中手紙書きに暮れてしまつた。

二月二十二日

 雪降り、Friday, Commemoration, Day of Washington. 午前 Miss Rentz に Lesson を取りに行く、午後三時から Casino の Club に行く、幼稚園の子供と面白く遊ぶ。御伽噺をなす、(猿蟹合戦)夜 Miss Rentz と共に Mr. & Mrs. Clarke を訪ふ、(Luthern Avenue 31)御馳走(Asparagas)になりて帰る。Dr. Kolmer(ペンシルバニヤ大学)教授より American Association of Immemologists に出席してアルバイトの話をしてくれとの special Invitation の手紙を受取る、大に痛快也、早速其返事を special delivery letter にて書(※8)送る、同会は亜米利加唯一の免疫学者会なり、大に喜ばし。

二月二十三日

 Saturday. 午前 Mr. Cle(※9)rke を訪ひしも不在、Hess Typewriter Co. に借り賃を払ひに行き後銀行で 30$ 取出し午後は Walter's Art Gallery に行く、実に快極まりなし、夜は Hotel Rennert に行き玉突きをなし支那料理を食べて帰る。

二月二十四日

 Sunday. 非常に暖かし、雨少しづつあり、今日午前より松尾、道君来り終日語る、夜 Little Peking に行き共に支那飯を食ひ後二人して散歩し松尾君の家を訪ねて帰る。

二月二十五日

 Monday. 暖かし、曇り(花曇りともいふべし)午後 Miss Rentz に Lesson を取りに行く、歯痛あり、午後古畑君の論文などを書く、佐藤彰君来りて眠つて行く、夜 Mr. Kuldell の Bible の話を御隣りの boarding house に聞く。

二月二十六日

 Tuesday. 晴、夜半より風強し、夜半余りの強き風にめざむ、又歯痛増して苦しく夢を見る。――久枝出産して男子なり。(うつむいて子を産む姿夢とてをかし)而も其男子が二三時間後飯を食べに至りて益々面白し―午前家にありて古畑君の論文を書く、Komplement の方は大方書き終へたり、父上より午後手紙を受取る、母上が大湯傷せられしとあり、何の事か、然し今は全快と聞きて大安心す、ひさえも其後達者なる由又村上校長が同人就職以来の二大事件として小生の留学及び四人殺しを挙げしとか。歯痛は大方去りたれども外へ出る元気なし。

二月二十七日

 Wednesday. 晴、暖かき日和なり。午前 Miss Rentz を訪ふ、午後一時 Stafford にて松尾君と逢ひ後 Walter's Gallery を見る、後 Tea を飲み又松尾君を訪ふ、後余は一人にて支那料理をたべ帰る。

二月二十八日

 Thursday. 晴。今日久枝の手紙を受取る、母上様の災難の状を明かにす、然し今や回復せられしと聞きて大に安心す。午後佐藤君を教室に訪ふ、丸井兄来合はせ共に支那料理を食べ後 Ford's に行き Lou Delegen の芝居を見る、始めて芝居らしき芝居を見たり、それでも日本の歌舞伎を見る様な工合には行かず物足らぬこと夥し。

(※1)原文ママ。他の箇所では「パゴダ」「Pagoda」と表記されているため、「g」の誤植と思われる。
(※2)原文の踊り字は「ゝ」を上下に二つ重ねた形。
(※3)原文句読点なし。
(※4)原文「I」なし。脱落か?
(※5)(※6)(※7)原文句読点なし。
(※8)原文ママ。「き」の誤植と思われる。
(※9)原文ママ。「a」の誤植の可能性が高い。

底本:『小酒井不木全集 第八巻』(改造社・昭和4年12月30日発行)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆集成(昭和4年)」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(随筆の部)」

(公開:2005年1月19日 / 最終更新:2005年1月19日)