一月一日
1918. 朝久保田氏をたづね後後藤氏と共に支那料理をたべる。午後松本氏と二人 Belvedere を出でて兎に角 138 Jackson place Mrs. Roberts 方に落附く、夜石田氏に電話をかけたり、松本氏と活動写真を見る。
一月二日
吹雪なり。
午前石田氏来る、後三人して Belvedere に行き Brush 氏を待つ、十一時頃同氏来られ自動車にて Johns Hopkine Hospital を見、 Associate professor に案内して貰ひ、四人して Medical Library を見後 Club にて馳走に逢ふ。午後三時 Brush 夫人来られ日本茶を馳走す、夕方丸井君をたづね支那料理を食す。
一月三日
午前七時に起き石田氏の Hotel に行き、更に三人して Brush 氏をたづね看護婦への講義や又は病院を見、昼は Lunch の馳走に逢ふ、石田氏 Hotel を出でて宿に来る、夜三人して久保田君をたづねしに丸井君居合せて大に語る。
一月四日
朝初めて Boarding House の Lunch に行く、昼は松本氏と共に行き午後文部省其他へ手紙を書きたり。
一月五日
Saturday. 午前中手紙を書く、“Sun” Newspaper に余等のことが出て居たり。午後 University of Maryland に Brush 先生の講義を聞く、夕食前佐藤君来り一緒に飯を済ませて後四人して玉突きに行き帰りがけ支那料理に入りて帰る。
一月六日
Sunday, 午前午後共手紙を書きなどして暮してしまふ、心何となく愉快なり。
一月七日
午後三時頃ボールチモアスター新聞記者 Downs 氏写真師と共に来りて余等三人を訪ふ、即ち撮影す、夜石田氏と共に Folly に行きて Dance を見る、紐育に比しては御話にならぬなり。
一月八日
午後佐藤君来り、食事を Boarding House にて共にせし後佐藤君の寝所を訪ふ、夜とめて貰つて帰る。
一月九日
朝食事を頂き佐藤君と共に Johns Hopkins University に来り Catalogue などを貰ひ、又図書館等に案内せられて帰る。((※1)薬物教室に久保田君を訪ふ)。夜丸井君を訪ひて語る。
一月十日
午前 Downs 氏より電話来る(、)(※2)明日訪ふ旨を約束す、午後手紙など書く、先日の写真が Baltimore Star に出たので三人が町へ買ひに行き Wilson にて活動写真を見て帰る。 ひさえに手紙を書く。
一月十一日
(湯に入る) 午後十二時半 Downs 氏を訪ねたるに氏は忙はしく、明日午後七時に自分を訪ねるといふ。
一月十二日
(土曜日) 午後七時半まで待てども Downs 氏来らず八時頃迄待つ、後 Hotel Rennert に行き玉突の例の会に列す、終りて支那料理を食して帰る。 コーカ氏より手紙来り返事を書く。
一月十三日
(日曜日) 夜六時に中尾と云ふ日本店を開き居る人より招待せられて行く。森本氏一家族を始めボールチモアの日本人全体集りて盛会なりき。日本食に舌皷み打つ。
一月十四日
図書館通ひに日を送る。
一月十五日
夜は久保田君を訪ねんとして出で行けども居ないらしくて帰る。
一月十六日
コーカ氏より手紙来りて大に好感情を以て迎へらる、返事を出す。午前図書館に行く、夕方丸井君来り佐藤君と三人東北大学の会を開く、 Little Peking に行く、日本より来れる奈良漬の罐詰に舌皷を打つ、後出でて Douglas Fairbanks を Garden に見る、更に Rennert にビーアをあほりて帰る、快極まりなし。
一月十七日
(木) 午前家にあり、午後図書館に行く、夜石田松本両氏と Academy に Hitchy-Koo を見る、面白し、然し亜米利加の笑は飽く迄も浅薄也。
一月十八日
午前家にあり。午後図書館に行く、夜は Chalie Chaplin の活動写真に頤(おとがひ)を解く。
一月十九日
コーカ氏より手紙来る、余が実験室に入らざるを嘆く口調也、午前図書館に行く、午後石神康君来りて語る、共に夕食を取り後石田松本氏等と Hotel Rennert に行く、玉突を終へて後支那飯に行く。石神君余が家に泊す。学士会月報に余が十二月四日附東北助教授に任ぜられし旨記載しありしと佐藤君より告げらる。
一月二十日
日曜日、午前久保田君を訪ぬ、松尾君に写真をとつてもらふ、十二月八日の医界時報を見る。午後四時半頃佐藤君を小児科の実験室に訪ね、後丸井君と Little Peking に行き久保田松尾君と落合ひ紐育より取寄せたる罐詰の奈良漬及びからし漬福神漬に舌皷みを打つ。医界時報(十二月八日)に高等官七等に叙せられたとあり。
一月二十一日
(月曜日) 午前図書館(病院附)に行く、今日午後湯に入る、宿のかみさんから蓄音器を借りて鳴らす。
一月二十二日
火曜日、雪降ることしきり也。夜になつて石田氏と活動写真でも見に行かんといつて出で行きしも今日は store を閉ぢる様発布せられ而も今週より励行せられて居るので駄目であつた。 Evans 及 Gay 両教授よりカリフオルニヤに来てもよい旨を云ひ越して来た、自分は学問の international なることにそゞろに感に打たれたのである。
一月二十三日
水曜日 午前 Fayette Street の The Hess Typewriter and Supply Company に行き Remington を借りる約束をして午後持つて来て貰つた。一ヶ月三弗半だ。大になぐさみになつてよい。蓄音器にて石田氏と Over There を稽古す、夜久保田君来り先日撮影した(日曜日)写真を持つて来てくれた。
一月二十四日
木曜日 午前午後タイプライタード(※3) “Over There” の稽古にて暮して了ふ。
一月二十五日
金曜日 午前 Down town に於て Charlie Chaprin を見に行く、 Typewriter をいぢくる、午後一寸図書館に行く。
一月二十六日
Saturday. At night it snows very heavy. Visit Dr. Kubota (absence) 医界時報を借り来る、自分が本俸六給俸を得たと出て居た、果して事実なりや。青山先生去る十二月二十四日死去の旨委細に記載せられたり、噫ゝ(※4)学界の耆宿遂に逝けり矣。石神君来り二人して Folly を見、後日本店の中尾氏方にて語り更に活動写真を見 Rennert Hotel に行き玉突をなし、連中と支那料理に行き帰る。
一月二十七日
Sunday. 朝寝して朝食を休む。午後少しく Typewriter をなし佐藤君を病院に訪ねて不在、久保田君を訪ね語れるうち松尾君来り、後 Little Peking に行き丸井君と都合四人支那料理を食す、帰りて松本氏の室にてビーアを飲む。
一月二十八日
大雪なり、一日中家に居て Typewriter をやる(、)(※5)論文の原稿は大方出来上りもう清書すればよいだけだ。
一月二十九日
Tuesday. 午前も午後も何処へも出ず手紙など書きて一日を暮らす、雪はやめども外は slippery なり。
一月三十日
Wednesday. 大方 Typewriter にて暮らす。午前洋服を press せしめて来た。
一月三十一日
Thursday. 夜 Peabody Institate に Mr. Corner の English Art に就いての Lecture を聞く、婦人のみが大部分を占む、蓋しこれも亜米利加特有なるか、 Ladies が Literature 又は Art の趣味を有することも面白き現象なり。
(※1)原文括弧なし。
(※2)原文句読点なし。
(※3)原文ママ。「と」の誤植と思われる。
(※4)原文の踊り字は「ゝ」を上下に二つ重ねた形。
(※5)原文句読点なし。
底本:『小酒井不木全集 第八巻』(改造社・昭和4年12月30日発行)
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆集成(昭和4年)」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(随筆の部)」
(公開:2005年1月13日 / 最終更新:2005年1月13日)