十二月十九日
午前六時春洋丸桑港外に停る。午前十時検疫終る、後 Immigration 税関を午後一時にすます。St.Francis に二時到着、三人は White Lunch にて食事をすます。夜は佐藤毅氏と共に Lunch に行き食事し後 Orphemm の喜劇を見、更に Coffee を飲みに行き帰る。
十二月二十日
朝、和田邦松氏の訪問を受く、黒澤ドクトル(、)(※1)松本氏を訪問(、)(※2)日本人会の幹事も来られ語る、後黒澤ドクトルと共に Berkeley に行き California 大学にては三苫氏の案内を受けて見物し(、)(※3)解剖学教室の Prof. Evans 氏は極めて親切に案内せらる、目下試験最中なり、竹岡ドクトルは不在なりき、 Tower に上りて Berkeley 及び San Fransisco Golden Gate あたりを眺めたる時は極めて愉快を感じたりき。夜小川ホテルに和田夫妻を訪ひ、日本食の馳走にあふ、同氏等は明日出発の予定。
十二月二十一日
九時に San Jose の方に向ひて出発し十時半到着、日本人会の幹事岡垣氏その他井上(井上善次郎博士令息)、落合氏等の出迎あり。午食を頂き後自動車にて Agnews の State Hospital を訪ふ。Dr. Stocking が Superintendent にして Mullen 氏は誠に親切に全部を案内せらる、実に規模の宏大には一驚せり。凡て設備が患者の為に出来あることは亜米利加特有にあらざるか。
十二月二十二日
午前三人して正金銀行を訪ね必要なる事件を依頼す、正午春洋丸一等機関士小林■(※4)太郎氏の訪問を受け二人して Lunch に行き御別れす、午後竹岡ドクトルの訪問あり。 Evans 教授より叮嚀なる返事来れり。
十二月二十三日
午後四時佐藤毅氏と都合四人 Overland limited に乗る、黒澤井上氏等の見送りあり船中盃を挙ぐ。汽車賃は市俄古迄116弗余を支払ひたり、戦時税を合める訳なり。
十二月二十四日
車中雪を見る、平凡なる平原続く、市俄古の清水氏に電報を発す。両行秦樹直、万点蜀山尖の景には及ぶべくもあらず。
十二月二十五日
寒気凛烈、雪到る処を蔽ふ。
十二月二十六日
午前九時市俄古着、清水氏来らず、午後領事館に来栖領事に逢ふ。Shozo Nakaya (中谷正造)氏と語りなどす、清水氏に電話をかけたれども通ぜず。四時 Michigan Central Station を発するつもりにて待合室に居る時清水及越智貞見両氏見送りに来らる、山川及び竹内両氏に逢はざりしを悲しむ、出発間際に佐藤氏来らず大周章、漸く間に合へり、思ふも可笑し。New York 迄金十四弗を払ふ。
十二月二十七日
午後佐藤氏と別る、氏は Albany に下車余等は九時過ぎ紐育に到達す、三時間延着せるため3弗の払戻しを受けたり、直ちに Biltmore Hotel に入り宿す。
十二月二十八日
寒気甚だし、此日午後総領事館に矢田総領事を訪ね後正金銀行にて用を済ます、後石田氏と別れ松本氏と二人 Tensler 氏を訪ねて不在に逢ふ、夜 Hippodrom 及び Taylor 夫人を訪ね午前二時帰る。
十二月二十九日
十二時頃起床す、夜は石田氏と二人して Century Theater に“Miss 1917”を見たり、佐藤君より電報にて明日二時半に到着する様とありしかどもそれでは行けぬ旨返事す。
十二月三十日
午前十一時五十分 Baltimore and Ohio System にて紐育を発す、East River の凍れる様実にえもいはれず。 Baltimore に七時前に到着の予定の所10時過ぎとなれり、Belvedere Hotel に泊す。
十二月三十一日
朝佐藤氏来らる、石田氏は午後 Brush 氏を訪ね松本氏と二人佐藤君に連れられ宿を見る、久保田氏を訪ね室も凡そ定まれり、後丸井君に来て貰ひ四人して支那料理に行く。
(※1)(※2)(※3)原文句読点なし。
(※4)「金偏」に「研」の右側。
底本:『小酒井不木全集 第八巻』(改造社・昭和4年12月30日発行)
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆集成(昭和4年)」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(随筆の部)」
(公開:2004年12月23日 / 最終更新:2004年12月23日)