十二月十七日
この日朝まだきに目ざめて父上母上にかしづかれまつりおほけなさに心におろがみつゝ八時といふに迎ひの俥に打ちのりて礁居(せうきよ)(※1)先生の門をくゞりぬ。
いとあつき診察により Kaesige Pnenmonie なれば予後大(おほい)によしと慰めたまひ同じ病にて全治せし例は夥多(あまた)なりとの事に力を得、停車場で待つ間は何となく心細き限りなりしが父上母上および河本令夫人の来させたまひしに力を得つやがて十一時の汽車に投じて、松が中なる片瀬相陽館に落つきしは午後の日斜めに波音高き頃にぞありける。
母上は今宵故郷へ帰りたまひぬ。月影ふみて砂地に、風に吹かるゝ袂をわかちし折は心何となく打ちしめりぬ。送り行きたまひし父上の宿にかへりたまひし頃はしもすでに床に入りてありき。
十二月十八日
空名残なく晴れぬ。父上と共に、海辺に降り立ちて、寄せてはかへす波に戯れ、履(はきもの)に盛る砂を払ひつゝ富士の高嶺をながむること暫し家にかへりて父上と共に語りつ一先づ父上に帰郷をすゝめ申して、送りて電車路(ろ)にいたる。
かくてわれたゞ一人無限の悲愁を抱きてこの地にさすらひの身となり終んぬ。
十二月二十一日
午後千葉晩香氏の来訪したまひぬ。徒然に慰めむとて齎らせたまひしは根付きの葉牡丹と、薔薇の蕾なり。よろこばしきこと限りなし。久し振りの面談にいとなつかしかりき。
十二月二十二日
今日もまた何のなす所なくして暮れぬ。八犬伝を読むのみ。島氏よりの端書を見て氏が有明節の得意なるを思ひ、やがて替歌を作り見つ、そもゝゝ替歌は其道の通人の口にせざる所なりといへど時にとつてはまた興あるものにこそ。
長き夜の 眠さますは波の音
病める吾身の思増す
こゝは片瀬の松の庵
なほす覚悟で来たわいな
十二月二十三日
午後五十嵐義兄より蜜柑一箱送らる。心ゆくばかり忝き贈物なり。なほざりに思はで玩味しつ、殊に佳美なり。
海岸に出でて波の打ち寄する様をながめて彳(たゝず)み居る折しも鬘を頭にせる婦人二人男子二人外に活動写真器を携へたる技師両三人波打ち際に歩み来りしを見て、フイルムを作る為の野芝居なることを推し初めての邂逅に興をそへつゝ見て居るに、遠くの方より丸髷の三十前後の婦人走り来り次ぎに十七八の束髪の女も走り、続いて短刀を抜き放ちて追ひかけ来る五十五六の老爺、更に其あとより四十ばかりの口髭いかめしき男、褞袍に帯しめたるが白足袋の儘老人を追ひ来り、ピストルによりて老人をひるませ近よらむとするとき老人は件の男に一刀をあびてたふるゝ間に逃げむとするあとより男も更に追ひかけてなほもピストルを放つといふ一場の短篇劇――前後の場面を知るに由なければ何なるかを判じ難けれど、かゝる事を初めて見る好奇心を満足せしめていと快く感じけり。
何れも皆生活の為かと思ひし折は何となく果敢なく思はれ波の音も人々を嘲るかの如く響きけり。
(※1)原文ママ(送り仮名共)。正しくは「碓居(うすい)先生」の筈で、「碓」の誤植と思われる。
底本:『小酒井不木全集 第八巻』(改造社・昭和4年12月30日発行)
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆集成(昭和4年)」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(随筆の部)」
(公開:2004年11月29日 / 最終更新:2004年12月9日)