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三つの痣

 小酒井不木

         一

 法医学者B氏は語る。

 私のこの左の頬にある痣の由来を話せといふのですか。御話し致しませう。いかにもあなたの推定されたとほり、生れつきに出来た痣ではなくて、後天的に、いはゞ人工的に作られたものです。これはある男の暴力によつて作られたものですが、皮下出血のために、この通り黒みがかつたものとなりました。もう三年になりますけれど、少しも薄らいで行きません。なに蝙蝠の形に似て居ますつて? 私の名は「安」ではありませんよ。玄冶店の妾宅に比べるとちとこの法医学教室は殺風景過ぎます。
 余談はさて措き、この痣の由来を物語るには、どういふ動機で私が法医学を専攻するやうになつたかといふことから御話ししなければなりません。然し、その動機を御話しするとなると、自然、私の弱点をも御話しせねばなりませんが、一旦御話しすると申しあげた以上、思ひ切つて言ふことにします。一口にいへば、私が法医学を選んだのは、私のサヂズム的な心を満足せしめる為だつたのです。おや、そんなに眼をまるくしないでもよろしい。別にあなたを斬りも殴りも致しませんから御安心なさい。サヂズムは程度の差こそあれ誰にでもあるものです。自分で言ふのは当にならぬかも知れませんが、私のは常人よりも少し強いぐらゐのものでした。而もこの痣を拵らへてからは、不思議にも私のサヂズムは薄らいで行きました。
 それはとに角、私は、小さい時分から、他の子供と比較して幾分か残忍性が強かつたやうに思ひます。他人が肉体的精神的に苦しむ姿を見て、気の毒に思ふよりも寧ろ愉快に思つたことは確かです。然し、それかといつて、自分で直接他人に苦痛を与へることはあまり好まなかつたのです。
 家代々農業に従事して居りましたが、中学校を卒業したとき、私は、何といふことなく、医者になつて見たかつたので、その頃の第三部の試験を受けて合格しました。それから高等学校を無事に卒業し、大学にはいるに至つて、はじめて医学を修めることに多大の満足を感じました。即ち、解剖学実習室で、死体を解剖するやうになつてから、いふにいへぬ愉快を覚え始めたのです、鋭いメスの先で、一本一本神経を掘り出して行く時の触感、内臓に刀を入れるときの手ごたへに、私は酔ふほどの悦楽を催ほし、後には解剖学実習室が私にとつての楽園となりました。多くの学生は解剖実習を嫌ひます。それは死体を扱ふことに不快を覚えるといふよりも寧ろ面倒臭いためでありますけれど、私は出来ることなら、一年中ぶつ通しでもよいから、実習室にはひつて居たいと思ひました。
 彼此するうちに、私は死体といふものに一種の強い愛着の念を覚えるに至りました。老若男女を問はず、死体でさへあれば、それに接するのが楽しくなつたのです。妙な話ですが、例へば美しい女を見るとします、すると私は、その女の生きた肉体に触れることよりも、その女を死体として、その冷たい皮膚に触れたならば、どんなに楽しいかと思ひました。更に、その死体の冷たい皮膚にメスを当てたならば、一層うれしいだらうと想像したものです。といつて、別にその女を殺さうといふやうな気には決してならなかつたのです。それのみか、人を殺した人間に対しては、はかり知れぬ憎悪の念を抱きました。さういふやうな人間をば、あく迄苦しめてやりたいといふ衝動に駆られました。これが即ち、私をして法医学を志さしめるに至つた重大な動機なのです。即ち、法医学では、死体を取り扱ふことが出来ると同時に、鑑定によつて、犯人の逮捕を助けることが出来、従つて犯人を精神的に苦しめることが出来るからであります。いや、全く、変な動機もあればあるもので、現今の法医学者中、私と同じやうな動機で、法医学を志したものは、私以外には一人もないだらうと思つて居ります。
 サヂズムを持つた人間は、通常血を見ることを非常に好むといはれて居りますが、私は特に血を見ることを好むといふほどではありませんでした。尤も、こゝでいふ「血」なるものは、生きた身体即ち、暖かい身体から流れ出る血をいふのでありますが、死体から出る血に対しては、どちらかといふと快感を覚えました。然し、その色を見て愉快に思ふといふよりも、むしろ、ねばゝゝした触感に心を引かれるのでした。尤も血液に触れたときよりも、組織にメスを切りこむ方がはるかに愉快でして、そのため、私の死体解剖は、どちらかといふと叮寧過ぎるほど叮寧なものでした。従つて一面から言へば、法医学的鑑定には比較的成功したといつてよろしく、私の鑑定のみで、犯人が逮捕されるに至つたといふ例は決して少くはありませんでした。

         二

 ところが、御承知のとほり、たとひ、どんなに完全に殺人死体の法医学的鑑定が行はれ、なほ又、極めて有力な犯人容疑者が逮捕されても、所謂、直接証拠のない場合には、その容疑者が自白しない限り、彼を罰することが出来ないのであります。死体解剖を行ふとき、私はつとめて虚心平気にならうと心懸けましたが、メスを当てる時の快感を払ひ退けることが出来ぬと等しく、この死体を作つた人間、即ちその殺人犯人を、何とかして一刻も早く官憲の手に逮捕させたいといふ慾望を打ち消すことが出来ませんでした。ことに有力な容疑者があげられた時は、一刻も早く、彼を白状せしめたいものだと、人知れず、焦燥の念に駆られるのでした。
かういふ経験を度々した結果、私は、直接証拠の出ない場合に、何とかして、いはゞ法医学的に、犯人の自白を促がす方法はないものかと頻りに考へるやうになりました。先年物故したニユーヨーク警察の名探偵バーンスは、かやうな場合、犯人の急所を突くやうな訊問をして、いはゞ一種の精神的拷問を行ひ、巧みに犯人を自白せしめる方法を工夫し、所謂「サード・デグリー」と称して、今でもアメリカの警察では頻りに行はれて居りますが、サヂズムを持つた私は、この「サード・デグリー」に頗る興味を持ち、法医学の立場から、これと同じやうな方法を工夫し、犯人に苦痛と恐怖とを与へて、自白せしめるやうにしたいものだと色々考へて見たのであります。
 現今の犯罪学者は、口を揃へて、拷問といふことを排斥して居ります。たとひそれが精神的拷問であつても、やはり絶対に避くべきものであると論じて居ります。尤も、拷問といふことは、無辜のものを有罪とし、有罪のものを無辜にするからいけないといふのが主要な論拠でありまして、従つて、グロースやミユンスターベルヒの考案した心理試験をも、拷問と同じだからいけないと批評して居りますが、若し容疑者が真犯人であつたならば、大に精神的苦痛を与へてやらねばならぬと私は考へたのであります。つまり、真犯人が容疑者となつて居る場合には、精神的拷問は欠くべからざるものだと思ひました。
 然し、真犯人が果して容疑者となつて居るか否かといふことはもとより誰にもわかりません。そこで私は、容疑者が真犯人である場合にのみ、精神的拷問となり、真犯人でない場合には、同じ方法を講じても、すこしも精神的拷問にならぬといふ手段を発見しなくてはならぬと思ひました。ところが、熟考の結果、この問題は比較的容易に解決されることを知つたのであります。
 第一に私は、殺された死体を、法医学教室で、直接、容疑者に見せて、そのときに、その容疑者に起る生理的変化を観察してはどうだらうかと考へました。御承知の通り、人を殺したものは、その死体を非常に見たがるものです。而も死体を見ると、一種の恐怖と不安とを覚えますから、当然、心臓の搏動数や呼吸の数が増加する筈です。で、それ等のものを、測定器によつて計測したならば、ある程度まで犯人か否かを発見することが出来るばかりでなく、ぢつと死体を見つめて居ると、今にもその死体が息を吹き返して、丁度、ポオの小説に書かれてあるやうに、「貴様が犯人だ!」と叫びはしないかといふ恐怖に襲はれますから、時にはそれがために、その場で自白をするにちがひありません。之に反して、容疑者が真犯人でなかつたならば、たとひ死体を見て、一瞬間心臓の鼓動がはげしくなつても、決して恐怖心を起しませんから、ミユンスターベルヒの心理試験とはちがつて、無辜のものを有罪にする患は決してない筈であります。ミユンスターベルヒの方法は、兇行に関係した言葉を容疑者に聞かしめて、その反応を見るのですが、数々の言葉の中には真犯人でない人を興奮させるものもありませうから、誤謬に陥り易い道理です。
 そこで、私は、司法当局の人々と相談して、有力な容疑者を捕へて、而も、直接証拠のあがらぬ場合には、法医学教室へ連れて来て、死体を見せ、呼吸計、脈搏計を以て、生理的の反応を調べることに致しました。すると果してこの方法は、ある程度まで成功しました。ことに有力な容疑者が二人ある場合には、明かに真犯人を区別することが出来ました。けれど、反応が明かにあらはれたゞけでは、それをもつて直接証拠とすることが出来ず、やはり自白を待たねば罪を決定することが出来ません。ところが、私の予期に反して、死体を見せたゞけで自白した真犯人は一人もありませんでした。更に又、頗る物足らなかつたのは、真犯人であり乍ら、死体を見ても、心臓運動や呼吸運動に少しの変化のあらはれぬもののあつたことです。要するに、死体を見せるといふ方法は、私の望んで居る効果をあげることが出来なかつた訳です。

         三

 そこで私は第二の方法として、容疑者を法医学教室へ連れて来て、その眼の前で死体解剖を行つて見せたならば、恐らく所期の結果を得るだらうと考へました。どうせ人を殺すほどの人間ですから、解剖を見たぐらゐ、びくともすまいと考へられるのが普通ですけれど、人を殺す場合には、多くは精神が異常に興奮して、いはゞ夢中になり易く、兇行の後一旦平常に帰つたときは、たとひはかり知れぬ憎悪のために殺したのであるとしても、眼前で、被害者の内臓をさらけ出されては、恐怖のために、自白するに違ひないと考へたのであります。
 果してこの方法によつて、二三の容疑者を自白させることが出来ました。六十歳になる高利貸を殺した三十二歳の大工は、高利貸の頭蓋骨が鋸で引き割られるとき、私の手にすがつて、
「どうか、やめて下さい、私が殺しました。」
と白状しました。
 又、情婦を殺した人形製造所の職工は、雪のやうに白い女の腹部が、縦一文字に切り開かれたとき、やはり、私の手につかまつて、
「もう沢山です。私が殺しました。早くあちらへ連れて行つて下さい。」
と、声顫はせて叫びました。
 ところが、頑固な犯人たちは、どんな残酷な解剖の有様を見せつけられてもびくともせず、中には気味の悪い笑を洩して、さもさも、被害者の解剖されるのを喜ぶかのやうな表情をするものさへありました。さういふ人間に接すると、私は少なからず焦燥を感じて、何とかして苦しめてやる方法はないものかと、無闇に死体に刀を入れるのでありました。然し、白状しないものは、どうにも致し方がありません。この上はたゞ、もつと有効な方法を工夫するより外はないと思ひました。
 熟考の結果、私は遂に第三の方法を案出することが出来ました。それは何であるかと申しますと、犯人の眼の前で死体を解剖し、その小腸を切り出して、それを蠕動させることなのです。
 御承知かも知れませんが、人間の心臓や腸は、その人の死んだ後でも、これを適当な条件のもとに置くときは、生前と同じやうにその特有な運動を始めるものです。心臓に就ては、実に、死後二十時間後に於ても、それを切り出して、動き出させることが出来たといふ記録があります。腸に就てのレコードを私は存じませんでしたが、少くとも心臓と同じくらゐのレコードは作り得ると考へました。
 はじめ私は心臓を切り出して、これを犯人の眼の前で動かせて見せやうかとも考へましたが、心臓を生き返らせる装置は腸のそれに比して遙かに複雑ですから、私の目的を達するには不便だと思つて、腸を選ぶことにしました。ことに腸管は、一見蛇のやうに見え、その運動も、蛇が、ゆるやかに動くやうに見えますから、犯人にとつては可なりに強い恐怖を与へ、自白せしめることが出来るだらうと予想しました。
 先づ、私は実験によつて、死後何時間までぐらゐの腸を生き返らせることが出来るかを定めやうとしました。すると、多数の実験の結果、やはり死後二十時間までの腸ならば例外なく動き出させることが出来るといふ確信を得ました。通常切り出した腸について、生理学実験を行ふときには、切り出すべき腸管の長さは五寸ぐらゐでありますが私のは目的が目的ですから、少くとも一尺五寸位を切り出すことにきめました。生理学実験の際には直径七八寸、高さ一尺ぐらゐの一端に底のある円■(とう)(※1)形のガラスの容器の中に、更に腸のはひる位のガラスの容器を装置し、その中にタイロード氏液と称する透明の液を入れ、腸管の両端を糸でしばつて、液中に縦に浮游せしめて下端を器の底に固定し、上端を糸で吊り上げ、糸の先に梃子をつけ、腸の運動を梃子に伝はらしめて、之を曲線に書かしめるのですが、私の方法はそれとちがつて、大きい方のガラス器に直接タイロード氏液を入れ、切り出した腸管の両端を糸でしばり、上端だけを糸で吊り上げて、容器の中に浮游せしめることにしたのです。さうして、タイロード氏液を三十七度内外に保つために、下からブンゼン瓦斯燈によつて暖め、なほ、酸素を通ずるために、ガラス管を液の中に入れました。生理学の実験では、切り出した腸管全部を液の中に浸しますが、私は、糸で吊り上げた一端を三四寸空気の中に出し、もつて、腸の運動の印象を深からしめようとしました。仮に腸を鰻にたとへるならば、頭を糸で吊つて、胸まで空中に出し、それ以下を液の中へ沈めるのです。尤も切り出した腸は鰻の色とはちがつて、全体が薄白く、それが蚯蚓のやうに、而も極めて緩く動くのですから、馴れない者の眼には可なりに気味の悪い印象を与へます。而も死んだ人の腸がいはゞ生きかへるのですから、殺人犯人にとつては、殺された本人が生き返ると同じやうなシヨツクを与へるであらうと私は思ひました。
 すると果して、私はこの方法によつて、可なりに頑固な犯人を、数人白状せしめることが出来ました。
 恋の遺恨で、朋輩を殺した電気会社の職工は、死体が解剖される間は、にやゝゝ笑つて見て居ましたが、やがて私が腸を取り出して、例の装置に結びつけますと、急にその笑ひを失い、眼を大きく開いて、蛇のやうな臓器を見つめましたが、暫く過ぎて、腸がぴくりゝゝゝと動きかけると、彼は額の上に汗の玉をならべ始めました。と、その時腸管が、急にくるりと液の中で一回転したのです。
「ウフツ、ウフツ。」
 笑ひとも恐怖とも、何とも判断のつきかねる声を発したかと思ふと、見るゝゝうちに彼は顔色を土のやうにして、その場に蹲つてしまひました。それから彼は、長い間言葉を発することが出来ませんでしたが、言葉を発するや否や、その罪状を逐一白状してしまひました。
 あるときは又、次のやうな異常な場面もありました。
 それは、ある金持の老婆の家に強盗にはいつて、老婆を惨殺した、四十五六の、眼の凹んだ顴骨の著しく出張つた男でしたが、解剖の行はれる間、彼はマスクのやうな顔をして、呼吸一つさへ変へずに、柱のやうに突立つて居りました。私は心の中で、「そんなに何喰はぬ顔をして居たとて駄目だよ。今にびつくりさせられるから覚悟をするがよい。」と呟き乍ら、例の如く腸を切り出してガラス器に取りつけました。と、その時、今迄無表情であつたその眼に、案の如く好奇の色があらはれました。
 解剖室の中には、白い手術服を着た私と助手と小使、その外に司法官と警官が一人づつ、容疑者を加へて都合六人居りますが、決して口をきかぬことにしてありますから、あたりは森として居て、音のない腸の運動が、聞えはすまいかと思はれる程の静かさです。人々は一斉に腸管を見つめました。やがて腸は軽く動き出し、凡そ十回ぐらゐ伸縮を繰返したと思ふ時、どうした訳か吊してあつた糸がぽつつり切れて、腸の上端が、ガラスの容器の縁にひよいと載りかゝりました。丁度その方向が容疑者の真正面に当りましたので、恰も一匹の白蛇が、彼に向つて飛びかゝるかのやうに見えたのです。
 あつと言ふ間もなく、彼は腸のはひつたガラス器をめがけて突きかゝりました。ガラスの割れる音がして、水があたりに飛び散りました。その時私は、腸が床の上に見つからなかつたので、何処へ行つたかと思つて見まはすと、彼の頸筋の後ろの襟の間に、とぐろを巻いて載つて居ました。男は悲鳴を発し両手を後ろの方にあげて取り除かうとしましたが、つかみ方が間ちがつたので、丁度腸をもつて頸を巻かうとするやうな動作を行ひました。
「ウーン」と腹の中から搾り出すやうな声を出したかと思ふと、どたりとたふれて、後頭部で腸管を圧し摧き、凡そ二時間あまりは、息を吹き返しませんでした。無論後に彼は犯人であることを自白しましたが、彼がたふれてから間もなく、口から血の泡を吹き出して、それが老婆の腸の上に流れかかつた有様にはさすがの司法官たちも顔をそむけました。
 然し私は、真犯人がこのくらゐ苦しむのは当然のことだと思ひました。出来るならば私はもつとゝゝゝはげしいシヨツクを与へて犯人を苦しませてやりたいと思ひました。むかしの拷問は一種の刑罰法と見倣すべきものでして、犯人を苦しませるには誠によい方法ですが(尤も主として肉体的の苦しみを与へるだけですから物足りませんけれど)、犯人でないもの迄が時として同じやうに苦しみますから、それが拷問の最大欠点です。バーンス探偵の「サード・デグリー」は精神的拷問ですから、頗る興味がありますが、これは主として訊問によるのでして、止むを得ず所謂鎌をかけねばならず、それによつて幾分か、無辜の人をも苦しめる欠点があります。然るに私の考案した「腸管拷問法」は、犯人でないものには何の苦痛を与へません。始めから終り迄沈黙の裡に事を行ふのですから、人体解剖を見馴れぬ人には、多少の刺戟を与へるかも知れませんが、多くの場合、十中八九まで真犯人らしいと思はれる者に対して行はれるのですから、精神的拷問法としては、先づゝゝ理想に近いものだと思ひました。
 沈黙といふものは、訊問よりも却つて怖ろしいものです。罪を持つたものが衆人の沈黙の中で、而も自分の殺した死体と一しよに置かれるといふことは、非常な恐怖を感ぜずには居られません。その上、その死体が解剖され、腸管が切り出されて生き返らしめられるのですから、大ていの犯人を白状させ得る訳です。実際数例に施して一度の失敗もなかつたのでしたから、私は腸管拷問法に可なりに興味を持ち、之を行つては人知れず愉快を覚えて居つたのであります。
 ところが、世の中には、上には上のあるものです。遂にこの腸管拷問法も、何の役にも立たない人間に接しました。その人間がつまり私の左の頬の痣を造つたのでして、それ以後私は、腸管拷問法を始め、その他の法医学的拷問法を一時中止することに致しました。

         四

 腸管拷問法に対して平気の平左衛門で居た人間といふのは、三十前後の男でした。彼は左の頬に、先天的に出来たらしい大きな痣がありました。その痣は黒くて、むしろ漆黒といつてよい程でありました。最大径は四寸ぐらゐあつて、その形は蝶々といへばやさしいですが、むしろ毒蛾の羽をひろげたといつた方が適当に思はれました。
 御承知のとほり、身体に何等かの肉体的異常を持つものは、男でも女でも幼い時分から一種のひがみを持ち、だんだん犯罪性を増して行くもので、極端になると、殺人狂になり了ります。それはつまり人間全体に対して一種のはげしい憎悪を感ずるからです。若しかやうな不具な男が青春の頃になりますと、性的の刺戟を受けて、女子に対して一種の反抗心を持つに至ります。さうして、一旦女子を恋して、その恋が受け入れられると、こんどは、女子を熱愛しその代りに、激しい、むしろ病的といつてよい位の嫉妬心を起します。それがため、いろゝゝの邪推を起して、遂には女を殺します。さうして、殺した後に、邪推だつたといふことがわかると悔恨の念もまた甚だしいのです。沙翁の「オセロ」を御承知でせう。黒人オセロは、イヤゴーの讒言によつて、妻デスデモナを殺しますが、後に邪推に過ぎなかつたことがわかると、悔恨のあまり自殺しました。尤も同じ不具者でも、殺人狂にまでなつたものは、たとひ嫉妬によつて人を殺し、邪推であつたとわかつても、オセロのやうに後悔しないのですが、それ程強い犯罪性のないものには、多少の悔恨の念は残つて居る筈です。私の今申し上げて居る男は、後に発狂してしまつて、彼が殺人罪を犯すに至つた、(いや、厳密にいへば、殺人を果して彼が行つたかどうかさへわからぬのですが、)その心的経路を知るに由ありませんけれど、周囲の事情から察して、恐らく、嫉妬のために殺人を行ひ、悔恨のあまりに発狂したと見るべきでして、而も、頑強に白状することを拒みとほしたのであります。
 その男が何といふ名で、何処に生れたものであるかといふことは、今以てわかりません。殺された女は、ある人の妾で、女中と二人、浅草田町に小ぢんまりした家に住んで居りました。女中がその家に雇はれたのは半年ほど前で、妾になつた女も、女中の来る一週間前から、其処に家を持つたのださうで、女中は、女が、その以前、何処に住つて何をして居たのか少しも知りませんさうでした。
 兇行のあつた日の夕方、男が始めて女の家を訪ねたさうです。女中はその男を見たとき左の頬にある痣のために、恐ろしい感じがしたさうです。すると、女は男を出迎へて、さもゝゝ驚いたやうな顔をして、
「まあ、繁さん、あんた生きて居たの?」と申したさうです。「繁さん」であつたか、「常さん」であつたか、女中ははつきり覚えて居ないと申したさうです。
 それに対して、男は何か言つたさうですがよく聞きとれなかつたといふことです。とりあへず女は男を奥の座敷に招じ入れ、頻りに密談して居たが、やがて女は、女中を御湯に行かせ、附近の料理屋で、二人前の料理をとつて来るやう命じたさうです。
 それから女中が帰つて来るまでに凡そ一時間かゝつたさうです。四月末のことゝて、もうその頃はすつかり夜になつて居ましたが、家の中が静まりかへつて居たので、不審に思つて奥の座敷の襖をあけて見ると、女は頸に手拭を巻かれて、仰向きに死んで居たさうです。女中は夢中になつて交番にかけつけ、男の左の頬に痣のあることゝ、着て居た着物の縞柄とを話したので、直ちに非常線が張られ、その夜の十時頃、男は上野駅で逮捕されたのださうです。
 彼は直ちに警察に拘引され、とりあへず女中を呼んで見せると、この人に間ちがひないと証言したさうです。ところが彼は何をたづねても知らぬと言ひ張り、そんな女の家をたづねたこともなければ、この女中も見たことがないと申したさうです。兇行に使用された手拭は、被害者のものであるし、現場には指紋が残つて居ないし、その他何一つ直接証拠となるものがなかつたので、警察でも非常にもてあましたさうです。姓名をたづねても出鱈目をいふだけで生国や年齢をたづねても口を噤んで言はなかつたさうです。とりあへず彼の指紋をとつて、もしや前科者ではないかと、警視庁で調べても、指紋台帳に同じ指紋を発見することが出来なかつたさうです。それから衣服の塵埃や耳垢まで顕微鏡的に検査されたのですけれど、やはり無駄に終つたさうです。
 で、要するに、唯一の証拠は女中の見証だけだつたのです。然し見証といふものは直接証拠となり得ません。女中が着物の縞柄さへ記憶して居て、それによつて男が逮捕されたのですから、女中の見証は間ちがひない筈ですけれど、偶然同じ着物を着て、同じ痣を持つたものがこの世の中に、もう一人無いとは限りません。又、仮りにその男が女の家へ訪ねて来たとしても、必ずしも犯人だとは言はれません。警察では女の旦那を検べたさうですが、疑を容るべき余地はなかつたさうですから、先づゝゝその男が犯人たることは誰にも考へられます。ことに、身に覚えのないものならば、たとひどんな事情があるにしろ、女を訪ねたことまで否定しないだらうと思はれます。
 いづれにしても男が有力な容疑者であることは争はれませんでした。それにも拘はらず、直接証拠がないために、彼を罪に陥れることが出来ません。即ち男が自白しない限りは彼を罰することが出来ないのです。で、検事は私に被害者の解剖を依頼すると同時に、例の方法を行つてくれぬかと申しました。私は以上の事情をきいて、痣のあるその男が、嫉妬のために女を殺したのであらうと推定し、腸管拷問法を試みることに致しました。
 あくる朝、教室へ運ばれ、解剖台上に、裸にして仰向けに載せられたのは、漆黒の房々とした髪を持つた、色の白い、面長の、鼻筋のよくとほつた、二十四五歳の女でした。彼女は妊娠八ヶ月ぐらゐの腹をして居ました。頸部には深くくびれた絞痕が見られ、紫色をした舌が右の口角に少しくはみ出して居りました。死後凡そ十六時間を経て居まして、その時丁度午前九時でしたから、兇行は前晩の七時頃行はれたことになり、女中の言葉とよく一致して居りました。私は一応見診を終つて、死体を白布にて蔽ひ、腸管を運動させる準備をして後、容疑者のはひつて来るのを待ちかまへました。
 程なく、問題の男は、検事と警官とにはさまれて、解剖室へはひつて来ました。私は男の顔を見て、これは容易ならぬ敵だと思ひました。毒蛾のやうな痣が彼の顔をして一層兇悪の表情を帯ばしめて居りました。その時私は、何となく腸管拷問方が効を奏しないやうな予感がすると同時に、この男のあの痣を利用したならば腸管拷問法よりも、もつとはげしい恐怖を与へることが出来ると思ひましたので、腸管拷問法が成功しない時の予備として、助手に耳打ちして、その頃教室で癌腫発生の研究に使用して居たコールタールの小罎と、それを塗る短い筆とを取つて来て置くやうに告げました。
 いつもの通り、容疑者を加へて、私たち六人は、無言の行を始めました。男は始め、検事に何か言はれるであらうと予期して居たらしく、検事のむつつりとした顔を不審さうに見つめました。然し検事は何も言はなかつたので彼は解剖台を眺めて、解剖台から一間半程隔つたところに立ちました。警官は、警戒のために入口の扉のところに立ち、検事は男の左側に立ちました。私は男と相向きあひの位置に、解剖台の左側に立つて、死體を蔽つた白布をさつと取り除き、女の顔を男の方に向けました。
 男はその時一つ二つ瞬きを致しました。然し、少しもその顔色を変へませんでした。私は、今に段々恐怖を増して行くであらう所の彼の心を想像しながら、先づ胸壁にメスを当て、皮膚、脂肪層、筋肉層を開き、肋骨を特種の鋏で切り破り、胸壁に孔をあけて心嚢をさらけ出し、次でそれを切り開いて心臓を取り出しました。取り出した心臓は、これを左の掌に受け、式に従つて、すーつ、すーつと二度メスを入れました。その時、男の左の頬の筋肉がぴりつと動きましたので、漆黒の毒蛾は恰も羽ばたきするやうに見えました。然し男の顔色には何の変化もありませんでした。それから肺臓の解剖に移りましたが、肺臓には、明かに窒息の徴候があらはれて居りました。通常法医学的解剖の際には、執刀者が所見を口述して、助手が之を筆記するのですが、この腸管拷問法の行はれる際には、私は無言で、特殊の変化のある部分を指し、助手が私の示すところを見て記載することにして居りましたので、メスを台上に置く金属性の響と、助手が首にかけた筆記盤の上を走らせる鉛筆の音ばかりが静かな空気を占領しました。
 解剖室の窓の摺ガラスには日が当つて、室内はマグネシウムの光で照した墓場のやうにあかるく、血のついた皮膚が、気味の悪いやうな白さに輝きました。一疋の、まだ蛹から出たばかりであるらしい蠅が、摺ガラスに打つかつては、弱い羽音を立てゝ居りました。その時私は女の黒髪を掻き分けて、耳から耳に、頭上を横断してメスを入れました。それから皮膚をはがして骨をあらはし、鋸をもつてごしゝゝ頭蓋骨を挽き始めました。男はそれを見て、半歩ほど後ろに退き、垂れた両手の先を二度、握つたり伸したりしました。然しやつぱり顔色を変へませんでした。次で私は脳を取り出して特別の台に載せ、メスを入れましたが、最早彼の身体には何の変化も認められませんでした。
 愈よ私は腹部を解剖することにしました。円形のドームを見るやうな女の腹にメスを入れたとき、男の頸部前面に出て居る所謂咽喉仏が一度上下致しました。これを見た私は、幾分か彼の心を動かし得たことを思つて愉悦を感じました。若し私の推定するごとく、嫉妬のために行はれた殺人であるとすれば、女の姙娠中の腹が解剖されることは、可なりに男の心を戦慄せしめるであらうと思ひました。腹壁を開くと、いふ迄もなく大きな子宮壁があらはれました。私は然し乍ら、子宮壁には手をつけず、先づ小腸を例の如く一尺五寸ほど切り出し、その両端を糸でしばり、解剖台の左側に置かれた腸管固定装置のところへ運んで、それを吊りさげました。ブンゼン燈の火が、見様によつては、その腸管を煮るためではないかと思はせます。
 男は少しくその眼を輝かせて腸管を見つめましたが、その時彼は右手をあげてその額を一撫で致しました。やがて腸管がその特有な顫動を始めると、男の衣服が肩先から裾まで、少しばかりではあるが、たしかに一種の波動を起しました。私はぢつと彼を見つめました。彼の額に始めて小粒な汗がにじみ出しました。
 然し、彼は何事も言ひませんでした。私は今にもその唇から、悲鳴が洩れ出づるかと思ひましたが、彼は何とも言ひませんでした。彼の頬は幾分の赤みを帯んで、出たがる言葉を無理に抑へつけて居るかのやうでしたが、やはり唇を動かしませんでした。私の予感は当りました。予期したことゝは言ひ乍ら、私は失望しました。それと同時に私は、愈よ、私が彼の痣を見て計画した最後の手段を講ずべきだと思ひました。そこで私は男に気づかれぬやうに、コールタールの小罎と、短い筆とを掌中に握り今までと反対の側に立ちました。即ち男と解剖台との中間に立ち、いはゞ男に背を向けて、私のすることが男に見えないやうにして、残つた部分の解剖を行ふことに致しました。
 男はさすがに腸管の運動に心を惹かれて、私が位置を変へたことにさへ気がつかぬ様子でした。私はタールの罎と筆とを死体の右側にかくし、メスを取つて子宮壁を開きました。胎児は正常の位置即ち頭部を足の方に向けて顔の左側を上にして横はつて居りました。私は臍帯を切つて胎児を取り出し男に見えぬやう手前の方に近く寄せました。胎児は男性でした。私は手早く胎児の左の頬をガーゼで拭ひ、ひそかにコールタールを筆の先につけ、其処に、男の痣と同じ位置に毒蛾に似せた形を描きました。幸に男はそれを気づかなかつた様子です。
 私は、漆黒の痣を左の頬に持つた胎児の脇の下を両手にさゝげ、くるりと一回転して、その痣が男の真正面になるやうに、差出しました。胎児と男の距離は凡そ三尺でした。
 男はこの突然な私の動作にさすがに面喰つて、はじめは私の差出したものが何であるかを判断しかねて居たやうですが、暫くすると彼の眼は、胎児の痣に集注されました。無論、男には自然に出来た痣と見えたでせう。その眼に、始めてはげしい恐怖の色があらはれました。呼吸が急に大きくなり、同時に、上体を後ろにまげて、危ふくよろけやうと致しましたが、その時世にも恐ろしい唸り声を発して、ぱつと私をめがけて飛びかゝつて来ました。
 私はその時彼が胎児を奪ふつもりかと思つて、伸した腕をつと引きましたが、その途端、石のやうな男の拳が空間を唸つて、私の左の頬に当つたかと思ふと、私は人事不正に陥つて、胎児を捧げたまま、解剖室にたふれてしまひました。

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 その時に出来たのがこの痣です。
 男はそのまゝ発狂して、今は精神病院に居ります。然し彼は遂に女殺しの犯人であることを自白しませんでした。コールタールで出来た痣は、無論胎児と共に消滅しましたが、私の痣はその後消えませんし、無論男の痣も消える筈はありません。で、私はこの残された二つの痣が消えるまで、私の考案した法医学的拷問法を中止することに致しました。(完)

(※1)土偏に「壽」。

底本:「大衆文芸」大正15年2月号