「不木の受難」特別編

「猟奇」血涙の章

(最終更新:2001年5月16日)
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ミステリー文学資料館編『「猟奇」傑作選』(光文社文庫・平成13年3月)に纏められた、
伝説の毒舌投稿コーナー「れふき」。
そこに収録された小酒井不木と耽綺社にまつわる暴言・放言・罵詈雑言だけを纏めてご披露。
他の作家の分も読みたくなったならば、本書を購入すべし。
「○印は同人 ×印は投稿」と註があるが、「▽」はじゃあ何だ? 謎である。

以下の文章は全て『「猟奇」傑作選』より引用した。初出は未確認である。

 

「猟奇」昭和3年6月号分

       ×
 小酒井不木のナンセンス。南船子のナンセンス。共に五十づら下げた親爺がママごとをやるに似たり。あきれたる限りなり。

       ×
 耽綺社とは大衆作家のトラストである。チェンストアーである。近頃偽物あり。(何卒猟奇社と間違えぬ様御用心)

       ×
 又謂う。耽綺社とは動きの取れなくなった大衆作家のごみ捨て場の事である。


「猟奇」昭和3年8月号分

       
「探偵趣味」の嘘付野郎!
 小酒井不木、甲賀三郎、江戸川乱歩が一体何を編輯しているとでも云訳するつもりなのか?


「猟奇」昭和3年11月号分

       ×
 水谷準「探偵趣味」を「我が児よ」にして了う。ハテ、表紙には「不木、三郎、乱歩、編」と書いてあったと思うのだが。如何?

       ×
 更に史郎――「小酒井不木氏そろそろ探偵小説界隠退の意をほのめかす。(猟奇・8月号随筆小酒井不木氏「ペンより試験管へ」参照――註・猟奇子)
 誠に悪しき所存なり。

       ×
 併して史郎のつづくる所「だから今後はもっと沢山書くだろう」――となりてこそ始めて、良ろしき覚悟なり。


「猟奇」昭和3年12月号分

       ×
 諸大家の批評ぶり………不木はカルメラ。乱歩は鉄砲玉。雨村はセメン菓子。三郎は西郷玉。初之輔はスコンブ。義一郎は飴玉。利三郎は塩センベイ。緒生はナマコ。宇陀児は豆板。準は元禄。其他略。………歯のためにわるいが多いと知りつつ、たべ度いのは何故でしょう。

       ×
 昭和三年九月十日、東京日日新聞第一万八千六百九十号の横浜横須賀版上に於て、小酒井不木氏の最も評判よき傑作の一つである、「肉腫」が剽窃であると指摘されている。
       ×
 不木氏の作品は、横浜市相生町関東病院外科の主任医学博士渡辺房吉氏が十年以前に「医学及医政」に発表されたものであると。
       ×
 渡辺博士の談――「問題になって私も小酒井君の小説を読んだが内容全部私が書いたものそっくりで私も一寸驚いた。勿論私は文筆で立とうなどという考はないし且小酒井君とは友達でもあるから断じて小酒井君を剽窃呼わりをしない。いや断じて剽窃ではない。結末は確に小酒井君の創作だし天才というのは自他の区別を忘れて一種の精神錯覚から興にのって創作する時もあるから小酒井君の創作は寧ろ満足に思っているところだ」
 小酒井博士談――「自分の小説『肉腫』は確に渡辺氏の『医学及医政』に発表した一文からヒントを得て書いたものです。
『肉腫』を書いた由来をお話すればその問題を解決するでしょう。大正十四年十月『妻及母の科学の第五章性の科学』を書き上げ大正十五年一月の婦人公論誌上に発表したところ大正十四年十二月二十六日頃婦人公論の嶋中雄作氏から『君の作品がその筋の忌憚に触れお気の毒だが切り取って発売する』という意味の報に接しました。自分は非常に力を入れて書いた作品だけに三、四日は憤懣に堪えず夜もろくろく眠れませんでした。その心持を是非探偵小説に書こうと思い考えたあげく官憲に刃向う事は暴威を逞する病気に刃向うようなもので結局敗けるより外はない。その気持ちを書いて見ようと思いました。その時ふと思い起しましたのはニューヨークにいた頃『医学及医政』で読んだ渡辺氏の一文でした。当時ひどく興味を感じたことを思い出し、それからヒントを得て前にいったような内容をもり小説『肉腫』を書きました」


「猟奇」昭和4年3月号分

       ○
「新青年」2月号の「劈頭の感想」を読む。乱歩・宇陀児・不木の衆愚、「猟奇」2月号に曝露されし誤謬も知らずに「押絵の奇蹟」の太鼓を叩く。
       ○
 之だから猟奇文壇に批評家無きが如し! と云われるんだ。

       ×
 近頃でも時々「猟奇社」と「耽綺社」とを混同する周章者が居る。「猟奇社」は「耽綺社」の様な一人立ちの出来ないヨボヨボ爺連の集りとは違うんだ。「耽綺社」なんか潰すのはわけはないんだが、養老院を潰すのも氣の毒だと思って放ったらかしである。諸君吹いて見給え。「耽綺社」なんか何処かへすっ飛んでしまうから。


「猟奇」昭和4年4月号分

       ×
 大阪朝日の二月三日の「日曜のペーヂ」に土師清二氏が「耽綺社打明け話」を書いて居られる。左に同氏の文を抄載することにしよう。
       ×
 まず朝日新聞から夕刊連載小説約三百五十回、興味深き作品を提供せよ、との注文を耽綺社が受けたとします。この交渉を受けるのは耽綺社社長兼事務員たる小酒井不木氏で、同氏は早速東京在住の平山、長谷川、江戸川三氏と大阪在住の私とに集会を通知して来られる。(中略)これまでの例によると小酒井不木氏がストオリーの根幹となるものを二三提供される。それを一同で評議し取捨按配して一篇の小説の骨子が組立てられることになります。(中略)さて同人一致で「これでよし」となると同人中で筆者の詮衡が行われます。剣戟物ならば国枝史郎、世話味に富んでいるものなら長谷川伸、情緒的なものならば平山蘆江といったように適材をつかまえる、つかまえられた同人は承諾すると多少自家の創意を加えて懸命に、筆を執るというのが「耽綺社の小説作法」の大体の過程であります。この例は新青年の「飛機睥睨」で、怪奇な探偵小説であったので、筆者は江戸川氏でした。(中略)収入の分配。これまでの作品。その他の打明け話がありますが、あまり長くなりますので。
       ×
 以上でどうやら耽綺社の内容がハッキリわかるではないか。


「猟奇」昭和4年5月号分

       ×
 近頃の探偵小説流行りはどうだ。賜台覧の「愛国婦人」に迄翻訳が載ってる。「子供の科学」には小酒井、大下両大人が書く。少女雑誌も微笑小説なんてなものより探偵ものの方がよくなって来た様でもある。然し又、本当に価値ある作品の寥稀なる事よ。

       ×
 中央公論だの、改造だのその他のオエライ雑誌で、探偵小説家として取扱う場合、殆ど甲賀三郎、大下宇陀児、江戸川乱歩、小酒井不木の何れかに限られているのはどうしたわけなんだ?


「猟奇」昭和4年6月号分

       ×
 噫! 小酒井不木既に亡し。

       ×
 不木は決して他人の作をけなさなかった。謂わば八方美人主義であった。これは不木の人格の現われである。

       ×
 小酒井不木死して、あちらからもこちらからも不木生前の知己なりと自称する者続出す。噫! これも彼の人格の現われか!

       ×
 耽綺社々長逝きて、一族郎党路頭に迷う。国枝史郎に社長の格なく、長谷川伸にその度量なし。平山蘆江その才なく、乱歩、清二又これにつぐ。万策つきて遂に猟奇社合併案を提議す。
 猟奇社、養老院たらずとは云え窮鳥懐に入ればの諺あり。以後は宜しく指導、鞭撻せん。
 世人よ、以て安んぜよ。

       ×
 過ぎたるは尚及ばざるが如し。と云う文句がある。
 1×6=0と云う方程式がある。
 その何れもが六人寄って一人前の仕事の出来ない耽綺社の人達にあてはまる。


「猟奇」昭和4年8月号分

       ×
 改造社の「不木全集」責任編輯者は薄識なことに「鳥井零水」が「不木」のペンネームであることに気がつかないらしい。

       ×
 寄木細工は一つ無くなればみんな崩壊してしまう。耽綺社は不木先生一人を失ったから瓦解する。

       ×
「新青年」よ。「耽綺社追悼号」を出す勇気はないだろうね?


「猟奇」昭和4年10月号分

       ×
 作家によって、或る雑誌に書く時には全精力を発揮して書き、又他の或る雑誌に書く際には、頭から読者を愚弄した態度で筆を執るのを往々見る。
       ×
 勿論、各々雑誌によって特色を異にし、レベルも異なるであろうから、それに適応して作の面目を改めるのは妥当かもしれないが、レベル低き雑誌、稿料の少ない雑誌なるが故に、不真面目な態度を現わしたり、無責任な作を出したりするのは断じて赦すべからざる所である。故小酒井不木がすべての人々から尊敬されたのも、ここにその理由の一を発見する。

       ×
 耽綺社も小酒井不木の消失に依り、その頭首を失えり。これも又時勢か。