参考文献/資料集 2022(令和4)年

(公開:2022年9月9日 最終更新:2024年10月8日)
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不明(奥付なし)

不木の火 / 道徳研究委員会

『「特別の教科 道徳」副読本 愛知県版 明るい人生 三年』 愛知県教育振興会

「あなたは、書かなくちゃあいけないんです!」
 平井の言葉がよみがえってきた。あの才能に満ちた男の目に、自分はどのように映っていたのだろう。自分に小説が書けるのか、不木にはわからなかった。それでも同時に、己の胸の奥に静かに燃える火があることも自覚していた。自分は外国の推理小説を読み、それらがどのように書かれているのかも考えてきたつもりだ。いまだ日本には、推理小説という土壌はない。平井なら、いや、平井と一緒ならば……。

5月

歴史講演会「ミステリの郷土・名古屋―江戸川乱歩と小酒井不木―」

日時:2022年5月20日(金)
会場:名古屋市千種文化小劇場
講師:小松史生子(金城学院大学 文学部 教授)

ミステリの郷土・名古屋

――明治初期、坪内逍遥や二葉亭四迷を輩出した名古屋は日本近代文学の発祥の地でありますが、江戸川乱歩という大作家を育んだミステリの郷土でもあります。
――乱歩は思春期の大半を名古屋で過ごし、後に彼の作品の主要なモチーフとなる見世物小屋やパノラマ館とこの地で出会いました。
――また、乱歩の才能を見抜き、彼のデビューを後押した医学博士・小酒井不木は、鶴舞公園裏の邸でミステリ作家の創作団体・耽綺社を興し、乱歩を始め国枝史郎や土師清二、長谷川伸、平山蘆江を社員として合作探偵小説という新機軸を試みます。
――一九二〇年から三〇年代、乱歩や不木を中心にまさにミステリ文学の聖地であった名古屋についてお話しします。

12月

第4章 江戸川乱歩と心霊学 / 大道晴香

『〈怪異〉とミステリ 近代文学は何を「謎」としてきたか』 怪異怪談研究会[監修] 青弓社 12月22日第1刷

「魔術と探偵小説」(一九四六年)のなかで、乱歩は「私は十余年以前オリヴァ・ロッジとかフラマリオンとか其他著名の心霊学研究書を読み猟ったことがある」と語っている。時期的に考えて、これは「悪霊」の執筆時を示唆するとみてよいだろう。ただし、乱歩の心霊学に関する知の情報源は、書籍のみではなかったように思われる。
 例えば、「悪霊」で交霊会の実施団体に付与された「心霊学会」の名称は、大正期に誕生した民間精神療法団体の一つで、現在の人文書院の前身である日本心霊学会を連想させる。京都を本拠地とした日本心霊学会は、同時代の民間精神療法団体のなかで最大クラスの規模を誇り、その機関誌「日本心霊」は学界を追われた福来の活動の場となっていた。ここにコミットしていたのが小酒井不木である。探偵小説家であると同時に、医学博士で養生法の大家でもあった小酒井は、日本心霊学会・人文書院から『慢性病治療術』(日本心霊学会、一九二七年)と『医談女談』(人文書院、一九二八年)を出版している。なお、これらの書籍の巻末には、福来の『生命主義の信仰』(日本心霊学会、一九二三年)や『観念は生物なり』(日本心霊学会、一九二五年)、『精神統一の心理』(日本心霊学会、一九二六年)の広告が大々的に展開されている。
 小酒井が乱歩のデビュー作「二銭銅貨」(一九二三年)に絶賛の推薦文を寄せ、職業作家への転身の判定を仰いだ「心理試験」の原稿にお墨付きを与えたのは有名な話だ。乱歩はたびたび名古屋の小酒井宅を訪れており、小酒井が一九二九年四月に急逝する二日前まで書簡をやりとりするなど、両者には深い親交があった。もっとも、乱歩の回想録に日本心霊学会がらみの直接的な記述は見当たらず、「悪霊」では「心霊学の会」「心霊研究会」の異称も用いられているため、小酒井を介した心霊学との接触は可能性の域を出ない。とはいえ、乱歩の交友関係に心霊学のカルチャーが根を張っていた状況は注目に値する。

 

『蟹江町歴史民俗資料館 年報』 第43冊 蟹江町歴史民俗資料館 12月28日発行