『朝日新聞』 1月30日 夕刊 8面
『朝日新聞』 2月8日(日曜日) 12版
愛知県出身の推理作家・小酒井不木が再評価されていると本紙夕刊で伝えられた。私は中学生の頃、県内で編纂された「郷土に輝く人」で不木に興味を持った一人だ。
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不木は名古屋を舞台にした長編「疑問の黒枠」をはじめ、巧妙な伏線と意外な犯人像という見事な展開の数多くの中・長編を発表している。また、海外の推理小説の翻訳や評論でも足跡を残していることをファンとして強調しておきたい。
『中日新聞』 2月13日
同展は一月二十四日に開幕し、二月二十二日まで。入場無料で正確な入場者は不明だが、パンフレットを受け取った人だけでも既に五百人近くに上り、休日を中心に好調な入りが続いている。推理小説関係のホームページなどでも紹介され、東京や茨城、京都など遠くからわざわざ訪れるファンも少なくない。
『こんな猟奇でよかったら 命なくします』 唐沢俊一/ソルボンヌK子 ミリオン出版 3月10日発行
ところで、社会の、どちらかというと底辺の方でそのような猟奇記事が喜ばれていた頃、もうちょっと高等な趣味を持つ人々の間で、昭和三十八年に翻訳された一冊の本が話題になっていた。著者の名はコリン・ウィルソン。芸術と狂気、性倒錯との関係を大胆に論じて話題となったデビュー作『アウトサイダー』の作者が、殺人者の心理にメスを入れ、「人間の営みとしての殺人」という概念を導き出した著作『殺人百科』である。それまで、殺人というのは、恐ろしい罪悪であるという糾弾の筆致ですべてが書かれていたものを、全く視点を変え、「われわれは、自分自身を知るために犯罪者を研究しなければならない」という大胆な論を展開したのだ。ウィルソンはこの後、殺人事件研究の第一人者となり、さまざまな猟奇事件、殺人事件を紹介し続けた。日本人はこのウィルソンの指摘により初めて、殺人研究が社会学として読めることを知ったのである。それまで、日本にも、小酒井不木による『殺人論』、さらには前項で書いた『近代犯罪科学全集』の諸巻など、殺人を研究したものは多数あったが、殺人事件を歴史の一部、人間性の一つの表れとして見るという視点はなかった。コペルニクス的転換と言えるだろう。
『探偵小説と日本近代』 吉田司雄編著 青弓社 3月14日発行
しかし、乱歩の意識とは裏腹に、「変格」という日本独自の用語は「本格」と対になって普及し、広く流通することになった。とりわけ江戸川乱歩の作品を語るさいに「変格」は多用されたが、そこに至った経緯はそう単純ではない。「故実家の穿鑿」とは中島河太郎の調査をさすものだろうが、中島の通史なども参照しながら概略すれば、甲賀三郎は「『呪はれの家』を読んで――小酒井博士に呈す」(春田能為名義、「新青年」一九二五年六月号)では「犯罪捜索のプロセスを主とする作品」を「純正探偵小説」と呼んでいる。また、「探偵小説の将来」(「大阪朝日新聞」一九二九年五月十七日付)では「本格探偵小説」と「亜探偵小説」という言い方をしていて、「本格」と「変格」というセットでの用法は一九二〇年代にはまだ定着していない。
一方、平林初之輔は「探偵小説壇の諸傾向」(「新青年」一九二六年二月増刊号)で江戸川乱歩、小酒井不木、横溝正史、城昌幸の少なくとも最近の作品には「精神病理的、変態心理的側面の探索に、より多く、若しくは全部の興味を集中し、尋常な現実の世界からロオマンスを探るだけで満足しないで、先ず異常な世界を構成して、そこに物語を発展させようとするやうなところが見える」ことを指摘し、「不健全派」と命名した。
『探偵小説と日本近代』 吉田司雄編著 青弓社 3月14日発行
(前略)よく知られているように、英米における detective story が探偵による謎の解明を主とした小説を意味していたのに対し、日本ではいわゆる怪奇・幻想小説、科学小説、犯罪小説なども「探偵小説」の範疇に収められた。のちに甲賀三郎によって謎解き系が「本格」、怪奇・幻想系が「変格」と分類され、やがて後者の代表的作家として小酒井不木、海野十三、夢野久作らがあげられるようになるが、こうした分類が必要になるほど、戦前の探偵小説のフレームは広かった。
(前略)芥川と探偵小説の関係を考えるうえで、興味深い言説はいくつかある。「骨董羹」(「人間」一九二〇年四月号)にはルブランのリュパンが柔術に通じていることが紹介され、「十円札」(「改造」一九二四年九月号)では「悠々とモリス・ルブランの探偵小説を読み耽っている」粟野の姿が描かれている。二四年には『モリス・ルブラン全集』(随筆社)が刊行されているが、芥川はその監修者の一人だった。
また同じ年に、芥川が小酒井不木から本の贈呈を受けていることも気になる。
『かにえ 3年・4年(下)』 編集・発行:海部郡蟹江町教育委員会 3月31日第3回改訂版発行
小酒井不木は、明治23年(1890)に生まれ、新蟹江村(今の蟹江新田)でそだちました。父は蟹江村の村長をつとめ、たくさんのお百姓さんを使う大地主でした。光次と名づけられだいじにそだてられ、明治28年に新蟹江小学校へ入学しました。小学校のころの不木は、作文がとくいで、自分で作った物語を大人たちに読んで聞かせるほどでした。
『論創ミステリ叢書8 小酒井不木探偵小説選』 論創社 7月25日発行
平林初之輔がそのエッセイ「探偵小説壇の諸傾向」(『新青年』二六年二月増刊号。『平林初之輔探偵小説選』第二巻、論創ミステリ叢書・論創社、二〇〇三に既収)で不木の作品傾向を「不健全」と位置づけたことから始まって、近年の中島河太郎による「医学的変態心理的側面を掘下げたものが多い」(中島河太郎「小酒井不木」『日本近代文学大事典』講談社、七七)という評価にいたるまで、その作風は「本格的な謎解きよりも犯罪小説的な色彩が強」い(権田萬治「小酒井不木」『日本ミステリー事典』新潮選書・新潮社、二〇〇〇)と目されることが多い。そのように位置づけされる小酒井不木の作品の中で、例外的に近代的な本格探偵小説テイストを濃厚に醸し出しているのが、少年科学探偵・塚原俊夫シリーズなのである。
『国文学解釈と鑑賞 別冊 江戸川乱歩と大衆の二十世紀』 編集・藤井淑禎 至文堂 8月15日発行
探偵小説において「心理」を重視する声が高まるこの時期に、探偵小説と心理学をめぐって活発な発言を展開していたのは、小酒井不木である。そして彼の発言は、「D坂の殺人事件」「心理試験」に先行して、両作品のガイド・ブック的な役割をはたしているようにみえる。(中略)
こうした小酒井の言説は、探偵小説における心理的要素の読解コードとして心理学・精神分析が存在することを明瞭にアピールしている。それは「D坂の殺人事件」「心理試験」の評価基準を定位するうえで、重要な役割をはたしたはずだ。なお連想診断については、早く木村久一「精神分析法の話」(明45・8、「心理研究」)に指摘があり、また上野陽一監修・三浦藤作編『輓近心理学大集成』(大8・6、中興館書店)に「近頃連想診断法というて、実験心理学で行う連合の実験を利用して、犯罪の有無を発見しようとする企がある」といった言及がある。こうした心理学サイドの知見は、小酒井らの言説によって探偵小説の問題領域へ接続していったのである。
「探偵は犯罪学、犯罪心理学に通暁して居ると同時にドイツ語の所謂 Menschen Kenner (人間をよく知って居る人)でなくてはならない」とは小酒井「探偵方法の変遷」(『趣味の探偵談』)の一節である。かくして心理学の知見は、探偵たるものの必須の知のひとつとして常識化されていくこととなる。
『国文学解釈と鑑賞 別冊 江戸川乱歩と大衆の二十世紀』 編集・藤井淑禎 至文堂 8月15日発行
戦後まもない昭和二十一年十月十八日。乱歩は横浜地方裁判所で管内各署の刑事たちとの座談会に臨む。(中略)乱歩にとって、探偵小説家と警察がそれぞれ情報交換を行うことはむしろ好ましいことだったに違いないし、小酒井不木、甲賀三郎、大下宇陀児をはじめとして、日本の探偵小説界には学者肌の作家も多く、その点でも交流の土壌はある程度あったはずである。
『人権と部落問題』 No.722 第56巻第11号 部落問題研究所 9月15日発行
小酒井不木「狂女と犬」(一九二六)―江戸川乱歩が尊敬してやまない先輩が不木小酒井光次医学博士だ。美濃の国の山奥に癩病の血統を持った美人の狂女お蝶さんがいた。狂女とその赤子と可愛がっていた犬が一緒の墓に葬ってあるが夜分に子守歌が聞こえてくる。「悲しい運命」を背負った狂女が使う、医学博士でないと思いつかない意外な凶器が復讐の快感を読者に与える。癩患者に対する厚い同情が無ければ書けない作品だ。
『伊和新聞』 11月6日(土)
伊勢湾が奥まった、名古屋港臨海地帯に東面した愛知県海部郡蟹江町は、漁業が盛んな名古屋のベッドタウン。同じ大阪のベッドタウン名張市を「蟹江不木の会」のメンバー約30人が10月31日に訪れ、伊賀路の秋を楽しんだ。
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名張市立図書館で、乱歩文学の多角的な情報をたっぷりと収集した不木の会会員は、「名張の乱歩館計画の説明を受け、大変勉強になりました。蟹江町でも、町民の間では小酒井不木資料館か図書館をつくりたいという夢があります。実現する時の参考にしたい」と話していた。
『読売新聞』 11月7日(日) 14版
(前略)探偵小説の父、江戸川乱歩(一八九四―一九六五)が、敬愛する作家の小酒井不木(一八九〇―一九二九)と交わした往復書簡計百五十四通が今月中旬、単行本化される。乱歩が不木の激励で職業作家になる決意をする経緯と探偵小説草創期の息吹が生き生きと伝わってくる。
『読売新聞』 11月9日(火)
日本探偵小説の先駆者・江戸川乱歩(一八九四―一九六五)の生誕地・名張市で十―十四日、「乱歩が生きた時代展」が開かれることになり、主催する「乱歩蔵びらき委員会」が八日発表した。乱歩が小説家になるきっかけをつくった作家・小酒井不木(一八九〇―一九二九)と交わした往復書簡をはじめ、乱歩生家の復元模型、遺品や自筆原稿など約三百点で乱歩の生涯を振り返る。
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同展では、不木が亡くなるまで二人が交わした約百五十通の書簡の中から代表的なものを展示する。
『産経新聞』 11月9日(火)
同イベントの的場敏訓・実行委員長らが八日、企画内容などについて会見した。同時代展では、昭和四年に三十九歳で亡くなり、乱歩と交流のあった愛知県蟹江町の医師、小酒井不木と乱歩の往復書簡約百五十通のうち一部を展示する。
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名張市立図書館の嘱託職員、中相作さんが、乱歩と小酒井不木の往復書簡を本にまとめる企画を提案し、「子不語の夢」(皓星社)として約千部がイベントにあわせて出版される。
『朝日新聞』 11月10日(水) 10版
会場には、乱歩と交流の深かった愛知県出身の作家・小酒井不木(1890〜1929)と交わした約150通の書簡の中の一部や、乱歩終焉の地の東京都豊島区の乱歩郷土資料館から借りた貴重な資料の数々のほか、乱歩が作品や自分を紹介した新聞記事などを集めてスクラップした「貼雑年譜(はりまぜねんぷ)」を元に作製したパネルなど、約300点を展示する。
『毎日新聞』 伊賀版 11月10日(水)
これまでは、乱歩あての書簡120通は刊行されていたが、不木あての乱歩の書簡は散逸していた。だが33通を茨城県の古本屋が保管していたことが02年に判明。今回、不木あての乱歩書簡は初めて刊行されることになった。編集に携わった市立図書館嘱託職員の中相作さん(51)は「従来の乱歩像を変える部分もありファン必読」と話している。
『中日新聞』 伊賀版 11月10日(水) 20面
乱歩が四歳年上の不木と書簡の交換を始めたのは一九二三(大正十二)年。デビュー作「二銭銅貨」を雑誌に発表した際、推薦文を寄稿してくれた不木に、礼状を送ったのが始まり。以来、五年九カ月後に不木が亡くなるまでの間、乱歩が不木にあてた書簡三十三通、不木が乱歩にあてた書簡百二十通、乱歩が不木の妻にあてた書簡一通が書簡集に収録されている。
『伊和新聞』 11月13日(土)
★往復書簡集『子不語の夢』を刊行★
新人時代の乱歩をサポートした愛知県蟹江生まれの医師で文筆家だった小酒井不木との交友を書簡で紹介した。
『伊和ジャーナル』 11月13日(土)
『子不語の夢』には百五十四通を収録。乱歩書簡は茨城県の古書業者、不木書簡は乱歩の遺族が所有しており、それぞれの協力を得て公刊した。新進作家だった乱歩が探偵小説界で地歩を固めてゆく姿を浮き彫りにするとともに、大正末年から昭和初年にかけての探偵小説草創期の動向を伝え、第一級の資料となっている。
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往復書簡の一部は十四日まで名張市総合福祉センターふれあいで開催中の「乱歩が生きた時代展」に展示。十四日午前十時半から同会場で浜田雄介さんら編集関係者が『子不語の夢』出版記念講演会を行い、不木長男の夫人・美智子さんも東京から駆けつける。
『朝日新聞』 11月14日(日)
名張市丸之内の市総合福祉センター「ふれあい」で開催中の「乱歩が生きた時代展」(14日まで)を主催する「乱歩蔵びらき委員会」(的場敏訓委員長)は、乱歩が探偵小説作家としての人生を決意するきっかけを作ったとされる愛知県出身の作家・小酒井不木(1890〜1929)と交わした手紙やはがきを収録した往復書簡集「子不語の夢」を刊行した。
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今回の書簡集の刊行には、市立図書館嘱託職員の中相作さん(51)=同市蔵持町原出=が尽力。それぞれ、書簡を所有する茨城県内の古本屋店主や、乱歩の遺族の承諾を得て実現した。
『SPA!』 扶桑社 12月7日号
冒頭の数通を読んでいるうちになんだかドキドキしてきた。日本最初のプロ探偵作家・江戸川乱歩誕生の歴史的瞬間を実際に目撃したかのようなスリルを感じる。(中略)乱歩という巨大な星を核として形成されていく探偵文壇のドキュメントとしても貴重な資料。新しいジャンルが生まれるときの昂揚と、開拓者の苦闘の跡が154通の手紙に刻み込まれている。
『中日新聞』 12月21日(火) 15面
さらに地域に密着した研究書として、江戸川乱歩、小酒井不木の往復書簡集『子不語の夢』(乱歩蔵びらき委員会刊)の出版には驚嘆。三重県出身の乱歩と、愛知県出身の不木との間に交わされた百五十余通(七年間)に上る全往復書簡を写真版を交えて活字化したもので、貴重な資料。ほかにも両氏の相互論や小松史生子、阿部崇、伊藤和孝らの作家論を併載している(中相作、本多正一監修)。年譜や注釈もしっかりしていて一級の出版といえる。
『図書新聞』 第2707号 12月25日
浜田雄介編『子不語の夢/江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(皓星社)大正から昭和初年にかけての書簡は、探偵小説史・乱歩研究の資料となろうが、村上裕徳の主観的脚注が一番の読みどころ。研究家の議論を呼ぶ、かもしれぬ。
『中日新聞』 尾張版 12月25日
蟹江町歴史民俗資料館は、同町出身で探偵小説の草分けとして活躍した作家小酒井不木(一八九〇―一九二九年)が残した自作俳句の控え帳「折折草」を新たに入手した。多才な不木の一面を伝える貴重な資料として話題を呼んでいる。
(中略)
同資料館が今回入手した「折折草」は、和紙をとじたB6判ほどの大きさの控え帳で、七十四ページにわたって不木自作の俳句二百九十句あまりが自筆で書き留められている。「駒形や振りかへりみるほととぎす」など、「不木句集」にも収められた代表的作品のほか、未公表の句も数多い。
『彷書月刊』 2005年1月号 彷徨舎 12月25日発行
原田は明治二十三年一月一日愛知県名古屋に生まれた。しかし実際にはその二、三日前に生まれたらしい。小学校時代、探偵小説家の小酒井不木とは友人だった。
『彷書月刊』 2005年1月号 彷徨舎 12月25日発行
江戸川乱歩と小酒井不木、この二人の七年間に及ぶ往復書簡集がこのたび刊行された。松尾芭蕉の生誕三六〇年を記念して三重県が行なった「伊賀の蔵びらき」事業の一環で、発行は乱歩蔵びらき委員会、発売は皓星社。乱歩ファンにとっては必携の『江戸川乱歩リファレンスブック』全三巻(名張市立図書館)を編集してこられた中相作氏の企画尽力によるもので、同時に中氏と交流を深めてきた編者の浜田雄介成蹊大学教授、阿部崇、小松史生子、末永昭二、村上裕徳各氏、皓星社の佐藤健太さん、不肖私も交えた共同研究、共同編集の成果でもある。
『週刊大衆』 2004年12月27日号
本書は、この2人が交わした手紙をまとめた往復書簡集である。もとより公刊を前提としていない私信であり、ここに収められた150余通の手紙は、探偵小説の勃興期に情熱を傾けた2人の作家の肉声を、そのまま封じ込めた貴重なものとなっている。