参考文献/資料集 2001(平成13)年

(公開:2006年1月23日 最終更新:2009年1月12日)
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3月

 

『日本ミステリーの100年』 山前譲 光文社 3月15日発行

6月

解説 不老不死の野望の果てに

『懐かしい未来――甦る明治・大正・昭和の未来小説』 長山靖生編著 中央公論新社 6月10日発行

 小酒井不木(一八九〇〜一九二九)が『人工心臓』を執筆したのは、漱石の時代よりは後のことだが、まだまだ人工心臓などというものが実現されようとは、ほとんどの日本人が想像もしていない時代だった。たぶん「人工心臓」という言葉を聞いても、ピンと来ない人がほとんどだったのではないだろうか。
(中略)
 この作品は、ある書評で「著者は余程医学知識のない人物」と扱き降ろされた。もちろん、知識不足なのはその書評子のほうなのであって、小酒井不木(本名・光次)は、当時、生理学者として世界有数の頭脳といわれる最先端の医学研究者でもあった。

 日本では、大正末から昭和の初期にかけて、医学的な空想小説、コントの黄金期とも呼ぶべき時期があった。この頃、小酒井不木、高田義一郎のほかに、やはり医師でこの類いの小説を書いた人物に、正木不如丘、田中香涯がいる。さらには法医学者として知られる三田定則、浅田一、古畑種基らも、よく新聞雑誌などに科学随筆を執筆し、しばしば空想的な未来の医学技術について言及している。
 どうしてそのような文章が好まれたかというと、ひとつには当時の世相が反映していた。当時は、日本社会が一応の成熟期に入り、都市化が進行した結果、従来とは違った都市型の犯罪が激増し、犯罪学(法医学)が広く社会の関心を集めた時期でもあった。それに日本でもようやく科学捜査が導入されはじめていた。
(中略)
 まもなく、江戸川乱歩がデビューして、日本にも探偵小説が定着するようになるが、その登場に先行するこの時期、ミステリーよりもむしろ犯罪実話や空想的な科学技術・超心理学のほうが、時代相の不安感やその裏返しとしての好奇心に応えていたのだといえる。

9月

小酒井不木

『ペンネームの由来事典』 紀田順一郎 東京堂出版 9月20日発行

 正木不如丘や木々高太郎とともに、医学畑で推理小説に手をそめた人である。明治二十三年(一八九〇)愛知県蟹江町出身、本名光次。大正三年(一九一四)東京帝国大学の医学部を卒業したが、留学先のロンドンで喀血、九年帰国して教授に任ぜられたが、病のため赴任できなかった。
 その間に発表した随筆を見て、「新青年」の編集長森下雨村より執筆依頼があり、『毒及び毒殺の研究』(一九二二)、『殺人論』(一九二三)ほかの論文を発表した。筆名の由来は少年時代から馬琴の文章中に「隠れて後顕はるゝは君子なり」「尺蠖の伸びんとするや先づその身を屈す」(尺蠖の屈するは以て信[伸]びんことを求むる也。『易経』繋辞下)などとあるのを“修養の基”としていたので、この意味を筆名にあらわそうと「不木」とした。すなわち「木」の頭を引っ込めれば「不」となるように、はじめはなるべく頭を低くし、あとで頭を上げるように、隠れて後顕るという意をきかせたものという。

10月

人間玩具説のひと 『四分割秋水伝』を中心に―― / 長山靖生

『文藝別冊 山田風太郎』 河出書房新社 10月30日発行

 もっとも、彼が医学部出身であるという事実は、連想による説得という効果によって、先に引いたような「怪談」に奇妙な科学的もっともらしさの装飾を施すのには若干の有効性を発揮した。しかし、この装飾は粉飾にすぎない。風太郎は昭和二十年代には、小酒井不木、木々高太郎という戦前の医学畑出身の探偵作家の系譜を継ぐ者とみなされていたが、むしろその知識活用法は小栗虫太郎を彷彿とさせる。風太郎の小説に登場する医学的説明は、はっきりいって法螺ないしは冗談の類でしかない。もちろん風太郎は確信犯として、それをやっている。繰り返すが、こういう人物を医者にしてはいけない。

11月

米田三星論ノート――探偵小説と医学―― / 細川涼一

『ヒストリア』 第177号 大阪歴史学会 11月10日発行

(前略)あえて米田の記憶違いを指摘しておくならば、不木は米田が「生きている皮膚」を書いた一九三〇年の一年前、一九二九年四月一日に、持病であった肺結核に肺炎を併発して死去している。すなわち、米田が探偵小説を書いた時点では、不木はすでにこの世の人ではなかったのである。

自らが医学者であると同時に、肺結核の患者でもあり、同じ肺結核患者仲間のために『闘病術』をも著した小酒井不木は、医学の人間疎外を探偵小説のテーマとして追求したといえるであろう。(中略)
 そして、不木を探偵小説の師とした米田も、医学者が出世のため「人間の心を無視」した結果、医学者としての栄誉を失うストーリーの探偵小説を書いた。米田の「生きている皮膚」は、探偵小説という形式による医療現場からの、医学者の「立身出世」主義に対する皮肉を込めた「語り」として、一応評価していいであろう。

(前略)戦前の探偵小説にも、ハンセン病患者の側の心情を描こうとした作品がなかったわけではない。それは、小酒井不木の「直接証拠」(一九二六年発表)である。(中略)
 不木は、ハンセン病を探偵小説に材料として使ってはいるが、岩井仙吉が「冷静な性質」になったのは、ハンセン病に罹った絶望感からであるとし、養子春雄にとっては「親切」な養父であったとしている。これは、ハンセン病患者が登場する戦前の探偵小説の中で、患者の側の複雑な感情にまで立ち入って叙述をしようとした、ほとんど唯一の例外といっていいのである。

せんとらる地球市民・星田三平 / 細川涼一

『文学』 11,12月号 第2巻第6号 岩波書店

しかし、コレラに代表される急性伝染病をテーマとしたというだけなら、「せんとらる地球市建設記録」は、独自性を持った探偵小説とはいえないであろう。すでに星田に先立って、自身衛生学を専攻する医学者であった小酒井不木が、一九二六年に「死の接吻」という探偵小説で、コレラの流行を題材としているからである。「死の接吻」は、上海に発生した猛烈な毒性を持つコレラが、大東京に入りこんだという話である。上海に発生した急性伝染病が東京に入りこむという設定自体は、星田は不木の「死の接吻」から発想を得たのかも知れない。