参考文献/資料集 1972(昭和47)年

(公開:2009年10月28日 最終更新:2009年10月28日)
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『私の大衆文壇史』

『私の大衆文壇史』 萱原宏一 青蛙房 1月25日発行

 大正十五年一月には、報知新聞の出版部から、白井喬二、本山荻舟、長谷川伸、平山蘆江、直木三十五、江戸川乱歩、小酒井不木、国枝史郎、矢田挿雲、正木不如丘、土師清二氏を同人とする、第一次「大衆文芸」が創刊された。誌名はもちろん白井さんの命名だ。

 第一次「大衆文芸」の同人の中で、私は小酒井不木と国枝史郎には会ったことがない。その他の方々には、大なり小なりお世話になった。不木は乱歩が最も敬愛を捧げた人で、乱歩の客間にはいつも不木の「子不語」と揮毫した、横額が掲げてあった。

 江戸川乱歩の出現によって、黎明を迎えたわが国探偵小説界は、雑誌「新青年」に拠る森下雨村の尽力によって、ようやく開花しようとしていた。私が講談倶楽部へ配属された頃には、すでに小酒井不木と甲賀三郎が寄稿していた。
(中略)
 江戸川さんは将棋が好きであった。池袋のお宅の「子不語」と書いた小酒井不木の額のかかった座敷で、よく将棋を指した。その額は、江戸川さんの引越した、前の家の座敷にも、ずっと掲げてあったという記憶があるから、江戸川さんは余程小酒井さんを敬愛していたのであろうと思った。

 講談倶楽部にそれまで寄稿した探偵作家は、小酒井不木、甲賀三郎くらいで、ほかに純粋の探偵作家と言えるかどうかは別として、保篠竜緒が書いていた程度だ。昭和三年十月号に「探偵小説傑作選」と題する特集をしている。顔触れは、大下宇陀児、甲賀三郎、保篠竜緒の三氏で、これに小酒井不木が加わったら、講談倶楽部のオールスター・キャストである。大下さんはこの号に「殺人映画」という題の小説を書いて、講談倶楽部へ初めて登場したのであった。乱歩の登場に先だつこと、十ヵ月である。