参考文献/資料集 1966(昭和41)年

(公開:2009年1月19日 最終更新:2009年1月19日)
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3月

思い出の七十年 / 原田三夫

『思い出の七十年』 原田三夫 誠文堂新光社 3月25日発行

 私の祖母の郷里は名古屋の西の蟹江に近い大海用(おおみよ)という農村で、私は尋常小学時代、暑休みによくそこへ遊びにいった。推理小説の先駆者小酒井不木の郷里は、この村と大川を隔てた村で、かれの家は資産家で農家ではなかった。私はそこをも一、二度訪れて、小酒井と庭で線香花火を遊んだ。かれの父は縁側で酒をのんでいた。小酒井の本名は光次で、私と同様「みっつあ」とよばれたが、かれと私が大学に進んだとき、これらの村では、どちらの「みっつあ」が偉くなるだろうかとうわさをした。

 愛知一中へ、二百人ぐらいの募集人員のなかの十八番で入り、いまも変らぬ腕に緑のすじの入った制服を着、シャチの囲んだ金の徽章をつけた制帽をかぶったときの嬉しさを、いまだに忘れない。
(中略)
 入学してまもなく親友が二人できた。一人はのちに東大工学部長や日本学術会議議長になった故亀山直人、もう一人の馬島秀夫は私が大学に入ってから消息が絶えてしまった。前記真野毅は中学でも同級であったが、同級生で一番有名になったのは小酒井不木で、かれは組も右の親友二人とともに私と同じであった。

(前略)
 私はこの旅行に出るときには冒険だとは少しも思わなかった。極めて当然に可能なことと考えたのであるが、じっさいにやってみると大冒険で、健康のためにも危険だと知った。同時に私には困難に打勝とうとする忍耐心と冒険心があるという自信を得た。この旅行は学校で評判になり、小酒井は私を日本左衛門といった。日本を股にかけるものという意味である。

 JOCK名古屋放送局の開局一周年記念放送には、各種目の一流人が招かれたが、私は子供の時間に科学の話をするものとして行った。昭和二年の盆のころと思う。忙しかった私は寝台車で原稿を作った。朝名古屋に着くと、のちに浜松の放送局長になった亀山がJOCKと白くぬいた紫の旗を立ててホームに出迎え、広小路にあった旅館千秋楼に案内して、そこで夕方の放送まで、何でも食べたり飲んだりしてくれといった。腕時計の具合が悪いといったら、すぐ直してきてくれた。
 午後、小酒井不木が来た。かれは肺病がだいぶよくなっていたが、まだ放送は疲れるから出ないといった。不木は、パリでは語学ができると遊びが面白い。自分もそのために余り遊んだので病気になったといった。そこへ局の人が来て、私のあとに出演する吉田絃次郎先生が、来ておられるからお会いになりませんかといったので、二人は吉田のへやへ行った。小酒井も吉田とは初対面であった。(中略)
 放送後私は小酒井と上の兄をつれて、八高時代に悪友につれて行かれたことのある、七間町の古銭楼へ行き芸者をあげて飲んだ。その一人の若いのが、私は小酒井先生の愛読者だといったので、私は女中に白扇と硯を持ってこさせ、小酒井を促して一筆書かせ、黙ってその妓に扇をやった。妓が驚ろきかつ喜んだことはいうまでもない。小酒井は、いつも書く自作の俳句を書いた。
 このときの謝金は放送料五十円のほかに菓子料三十円、旅費は一等の倍の五十円であったから豪遊ができた。
 小酒井は永井潜博士の弟子で、東大を出て東北大学の教授になったが、洋行中に胸を悪くし、帰ると、名古屋の東郊御器所に家を建てて静養しながら闘病術という本を書いた。前記のようにかれは中学で私と同組でも、秀才を鼻にかけたようで親しめなかったが、名古屋に住み、私の依頼で「科学画報」や「子供の科学」に執筆するようになってからは、生れ変ったように親しくしてくれた。かれは「Pのおじさん」を主役にした少年探偵小説を、長く「子供の科学」に連載した。
 当時アメリカでラジオ・ニュースという雑誌を発行していたゲルンスバックが、そのほかにアメージング・ストーリーというSF雑誌とサイエンス・アンド・インヴェンションという通俗科学雑誌を出していて、私は皆取っていたが、アメージング・ストーリーを全部小酒井に送ってやった。かれはそれからも取材したかもしれない。
 そのころ、名古屋の東郊の七本松に牡丹亭という料亭があった。帰省したとき私は、よくそこへ母をつれて行ったが、そのとき小酒井に迎えの人力車を向けたことが、一、二度あった。かれは酒は飲まなかったが、私の歌を面白がって聞いてくれた。最後に会ったのは、かれの家を訪問して食事をともにしたときで(口絵)、そのときかれは容態がよくなく、ときどき大喀血をするといったが、その翌年、その大喀血でやられたのである。
 小酒井で驚ろいたことは、頼まれた原稿をぶっつけで注文どおりの枚数に過不足なくきちんと書き上げ、しかも消したり直したりしたところがなかったことである。私も長年の経験から、最後の一枚になると、自然に最後の行でおさまるようになるが、消して直したり、前後を入れかえたりするのが常で、印刷したような原稿をかいた小酒井の頭のよさが思いやられる。

7月

本朝探偵趣味その一 江戸期小説あれこれ / 阿部主計

『推理小説研究』 第2号 日本推理作家協会 7月15日発行

 探偵趣味に関連した江戸文芸の考察は、故小酒井不木博士が大正末期に雑誌新青年誌上のいわゆる“新青年論文”の中で立派に果して居られ、不木全集の内に納められている。