参考文献/資料集 1965(昭和40)年

(公開:2009年1月19日 最終更新:2009年1月19日)
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11月

江戸川乱歩を偲ぶ / ふるはたたねもと

『推理小説研究』 創刊号 日本推理作家協会 11月30日発行

 わたくしが乱歩氏を知るようになったのは、両人が共通の友人をもっていたからである。それは探偵小説の父とか母とかいわれる小酒井不木氏である。(中略)
 わたくしはその頃、金沢医大で犯罪学雑誌を出しており、小酒井氏はその有力なる協力者であったので、小酒井氏に逝かれたわたくしは途方にくれた。小酒井氏は、大正十四年の二月、名古屋市におこった匿名の脅迫手紙事件をもとに「匿名書翰事件(一)」を書いてくれたが、遂にその続篇はもらえなかった。それで小酒井氏の代りに乱歩氏に日本犯罪学会の理事になってもらい、わたくしが金沢から東大に転任してからは、彼は大いにわたくしを助けて下さった。

乱歩さんの思い出 / 小酒井望

『推理小説研究』 創刊号 日本推理作家協会 11月30日発行

 乱歩さんはよく「小酒井(不木)さんには世話になった」と言っておられたが、亡父生前のことはお言葉通りだったとしても、父の死後は私どもが、一方ならぬお世話になった。小酒井不木全集十七巻の刊行をはじめとして、探偵小説全集が出るたびに父のものを加えていただいて、早く父を失った私ども一家が如何に経済的に助けられたかは、測り知れないものがある。

小酒井不木 / 中島河太郎

『現代日本文学大事典』 明治書院 11月30日発行

こざかいふぼく
明治二三 1890・一〇・八〜昭和四 1929・四・一。小説家・医学者。愛知県海部郡蟹江町生。本名光次。三高を経て、大正三、東京大学医学部を卒業、生理学血清学を専攻した。六年東北大学医学部助教授となり、海外留学を命ぜられた。ロンドンおよびパリで喀血におそわれ、九年帰朝した。同年東北大教授に任ぜられたが、病気のため任地に赴くことができず、翌年医学博士を授与され、一一年に退職した。引き続き、静養に努めながら文筆生活をはじめた。大正一〇に発表した随筆「学者気質」に注目した『新青年』編集者森下雨村の勧めにより、同誌に「毒及び毒殺の研究」「殺人論」「犯罪文学研究」などを寄稿した。いずれも平明な医学的研究解説に、豊富な探偵小説の知識を援用したため、勃興期の探偵文壇に大きな刺激を与えた。また海外探偵小説の紹介に努め、スエーデンの作家ドウーセの「スミルノ博士の日記」や「夜の冒険」以下の長編を翻訳し、チェスタトンの「孔雀の樹」など多数を紹介した。以上の研究・翻訳面の活動の他に、創作面では、大正一四の「画家の罪」や「呪はれの家」を皮切りに相ついで執筆し、とくに「人工心臓」や「恋愛曲線」は、神秘と科学との結合を企て、異常なスリルが全編にみなぎっている。昭和二の長編「疑問の黒枠」(『新青年』連載)は、勃興期の代表的本格雄編で、復讐を根底に錯綜した人間関係を描いている。その後は通俗性を帯び、広い読者層を開拓するに至ったが、逝去に近く発表された四年の「闘争」は、学説の相反する学者間の熾烈な闘争心に焦点を合わせた佳作である。博士は探偵小説育ての親であったばかりでなく、闘病生活のかたわら、七、八年の間に全集十七巻の膨大な業績を残した。〔中島河〕
〔参考文献〕「小酒井不木博士のこと」江戸川乱歩(「宝石」昭二八・四)