参考文献/資料集 1957(昭和32)年

(公開:2009年12月5日 最終更新:2009年12月5日)
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9月

名古屋作家史 / 岡戸武平

『め』 第5号 9月8日発行 名古屋文学学校
 → 初出:『ペン』第3号〜第8号(掲載年不明)

 由来名古屋には作家が育たないということをいわれた。どういう意味かはつきりしないが、おもうに名古屋に作家の温床となるべき出版文化事業の乏しいこと、名古屋人の性格として、貧困に耐えてもなお文学一本に生き抜こうというねばりのないこと、文科志望の学生がほとんど東京に出て勉学すること、またその学生の親が学科を選ぶにはなはだ実利的で、文科をきらつたこと等にあるのではないかと考えられる。
(中略)
 しかし、これは明治、大正年間の話で昭和になると、おのずから話もちがつてくる。まずその明治時代の名古屋――愛知県といつてもいい――出身の作家を拾つてみると
  二葉亭四迷(江戸生れ)
  渡辺霞亭(主税町)
  小栗風葉(半田市)
  村井弦斎(豊橋市)
  小酒井不木(蟹江町)
 この五氏が「愛知県偉人伝」(昭和九年・県教育会刊行)の文芸家の部類に入つている。(中略)以上五人のうちあくまで郷土に踏みとどまつて作家生活をしたのは小酒井不木唯一人で、いずれも東京・大阪において作家活動をした。まことにものさみしい作家群である。

 純創作の探偵小説をかき出したのは、大正十四年八月号「新青年」に掲載された「按摩」つづいて「虚実証拠」である。代表作は尾崎の紹介(※)にもあるごとく長篇では「疑問の黒枠」短篇では「恋愛曲線」は衆目の見るところであろう。ちなみに「新青年」に連載された「疑問の黒枠」のさしえは、現に知多大野町に健在の春陽会に属する洋画家大沢鉦一郎が描いた。これは私が相談をうけて大沢に依頼したものである。

(※)この前段落で引用されている尾崎久彌の文章のこと。