参考文献/資料集 1951(昭和26)年

(公開:2010年11月21日 最終更新:2010年11月21日)
インデックスに戻る

11月

小酒井不木居住址 / 尾崎久彌

『名古屋史蹟名勝紀要』 11月18日発行 名古屋史蹟名勝調査保存委員会

 昭和区桜井町一丁目八番地
 不木は、本名光次。明治二十三年(一八九〇)十月八日、海部郡蟹江町に生る。愛知一中・三高(当時八高未だなし)を経て、大正三年東大医科卒、血精学を修めた。大正六年十二月東北大助教授となり同時に米・英・仏留学、痾を得て大正九年十一月帰朝、同年十二月東北大教授となつたが、任に赴かず。病中、大正十年九月五日医博の学位を得たが、同十三年終に退職、終に東北大には一回の開講なくして止んだ。留学中より探偵作に興味を感じ、爾来大正末より昭和へかけて、闘病中、探偵作に関する翻訳・創作を試みた。又、己れが立案、体験を基に、当時同闘病の体験のあつた岡戸武平をして纏めしめた『闘病術』の一著もある。生前、『生命神秘論』を処女著として叙上『闘病術』の他、随筆、探偵物翻訳・創作等の数著があつたが、死後『小酒井不木全集』十七巻出づ。嘗て新青年に連載された『疑問の黒枠』は、我国最初の本格探偵長篇といはる。昭和四年四月一日、闘病半ばにして逝く、年四十。筆者とは、生前、同才であつたが中学は一年上の先輩、大正末は東京春陽堂より共に本が出、春陽堂の編輯子、同君と筆者とを往来するを常とした。不木、生前蒐書に力めた、江戸期小説家類の稿本、又は刊本類も漁り、筆者と衝突した事もある。又、生前、当時の愛知医大卒業生の論文指導に当り、彼等が為に自邸内に研究所をしつらへ、その研究所より巣だつた医学徒も少くなかつた。之は、晩年、学者の風格を失くしたげに見える彼としては、特筆すべき逸話である。(尾崎)