『白隠と夜船閑話』序文に思う



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『生命神秘論』・『闘病術』著者からの言葉

 不木は大正4年に肺炎を病んで以来、大正8年には渡英中に喀血、爾後療養生活に入り、昭和4年に急性肺炎で亡くなった。享年39歳。
 彼の著書に『生命神秘論』と『闘病術』がある。前者は医学書とも哲学書ともつかない不思議な内容の著書で、臨床的な医学知識と医学史に基づき、著者が「生命とは何か?」という問題を分析したものである。ここで分かるのは、著者の唯物主義に凝り固まらない、生命という存在に対する多面的なスタンスである。
 後者『闘病術』は、医学博士としての小酒井不木の代表作ともいえる著書である。肺結核に冒された著者の体験を基に、如何にして病と向き合うかについて、あらゆる面から筆を執っている。その内容を一言で言えば「病は気から」ということになり、まさにこの序文に書かれた通りのことなのだが、読んで頂いた人には、この言葉に込められた、祈りにも似た気持ちの重さを忘れないで欲しい。
 この『白隠と夜船閑話』が現実的な効能のない書物であることは言うまでもない。白隠は禅宗の高僧であり『夜船閑話』は大変有名な書物であるそうだが、もとより座禅で難病を治すなどということを不木自身も信じていたわけではないだろう。しかしそれでもなお、「病は気から」と言わずにはおれない気持ちが、不木の中にあったことは間違いない。不木の作家としての人生は常に死と隣り合わせだったといっても大げさではない。むしろ療養の慰みとして筆を執っていたようなものだ。しかも彼は世界的な実力のある医師である。自らの身体の状態、結核という病気について、その治療について、誰よりも多くの知識を持ち、誰よりも深く分析していたに違いないのだ。その彼が病と向かい合い、死を身近に感じながら発する「病は気から」という一言の重みは計り知れないものがある。
 この序文にも「死んで行く外ない」という言葉が何度か聞かれる。医学の最前線に身を置く不木にとって、その諦念の感は非常に深いものであっただろう。それでも、自らと同じ様な病に苦しむ患者たちに対して、諦念ではなく「自分の心に頼る」ことを奨め、自らをしても『闘病術』という、まさに「気力」の著書を執筆したのが、小酒井不木という作家なのだ。難治の病に対して医師の立場から「病は気から」と語るその覚悟、難治の病の患者として、諦念・苦しみ・死の恐怖に打ち勝つために「病は気から」と語るその気力。この序文だけでは十分ではないが、不木の人間性の部分を味わって欲しい。
 ついでに言えば、難病に対し医師としての絶望・患者としての絶望を共に味わった人間として、作家小酒井不木を改めて見てもらいたいものだ。「冷徹な医師のまなざし」を持った作家が、どれだけ真摯に「生」を、「患者」というものを考えていたかを思えば、彼に対する評価は自ずと変化のあるものになってゆくはずだ。

(参考)『白隠と夜船閑話』序文

(記、2000.1.10)