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忘れたくない小酒井不木のルーツ

 自らの眼に注射針を突き刺す男、胎児を食う医師、患者の眼をくり抜く眼科医、容疑者の前で死体の腸を動かす奇妙な拷問法を編み出した法医学者、蒼い肌の赤子を産もうと企む妻……。
 小酒井不木の小説の登場人物は時に怪奇的に過ぎ、時にモラルや常識を遙かに逸脱して冷たい「超人」と評され、読者の共感を得難くしていました。不木自身、暖かい味の小説を書きたいがどうしても冷たくなる、と悩んだ時期もあります。
 しかし不木の描く人物が皆「超人」ではありません。当時から不当な差別を受けていた癩病患者を作品中で描いた彼の筆には他の同時代作家に無い、患者の側に立つ眼差しがあります。(参考、細川涼一「ハンセン病と勃興期の探偵小説 正木不如丘と小酒井不木」・『部落解放 第四九五号』解放出版社・二〇〇二年一月)実験材料のような人物像を描いてしまう不木の本質が冷たい科学者の眼だとしたら、患者の側に立って人物を描く不木の本質は病人――弱者のそれでしょう。
 帝大から海外留学という道を歩み、輝かしい未来を嘱望されていた不木は結核に倒れ、再び郷里へ戻ります。
 幼年期を過ごした蟹江、闘病の地・神守や名古屋には「超人」でない、人間・小酒井不木の弱さと暖かさのルーツがあるように思います。

【公開:2004年4月12日】