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「年譜」および「『年譜』の一部訂正」



明治二十三年十月八日
愛知県海部郡蟹江町に生る。

二十八年四月
新蟹江尋常小学校へ入学。

三十二年三月
卒業。

四月
蟹江高等小学校へ入学。

三十六年三月
卒業。

四月
愛知県立第一中学校へ入学。

四十一年三月
卒業。

四月
京都第三高等学校へ入学。

四十四年三月
卒業。

四月
東京帝国大学医学部へ入学。

大正三年十二月
卒業。直に大学院に入り、生理学、血清学を専攻す。

四年一月
鶴見久枝と結婚す。

四年十二月
肺尖を病み、相州片瀬海岸、或は森ヶ崎に転地療養す。約半ヶ年にして快癒再度研究に従事す。

六年十二月
東北大学医学部助教授拝命。同時に衛生学研究のため海外留学を命ぜられ春洋丸にて渡米一ヶ年研究。

七年三月
長男望生る。

八年六月
英国に渡り、ロンドンに於て突然喀血に襲はれブライトン海岸に転地療養、小康を得て一たんロンドンに帰り、大正九年春仏国パリーに移る。此の地に於て再度喀血に襲はれ療養す。

九年九月
小康を得て賀茂丸にて帰朝の途に就き、十一月神戸に安着す。

十月
東北大学教授に任ぜられたるも、病のため任地に赴くを得ず郷里に静養す。

十年九月
医学博士の学位を受け、翌年東北大学教授を退職す。(遂に任地に赴かず)爾来引続き静養、病ひ一進一退の状態にありしが、稍良好なるを見て、

十二年十月
名古屋市中区御器所町北丸屋に新築移転。文筆生活はじまる。

十五年七月
長女夏江生る。

昭和三年一月
自宅隣地に研究室を建て血清学の研究をはじむ。

四年三月二十七日
夜、風邪気味にて発熱就床。

四月一日
午前二時三十分急性肺炎にて逝去。享年四十歳。

※以下、「『年譜』の一部訂正」

第十二巻所載「年譜」五行目より左の通り訂正致します。
(これを切抜いて上からお貼り下されば、うまく合ふやうになつてゐます)

三十五年三月
高等科第三学年修業。

四月
愛知県第一中学校へ入学。

四十年三月
卒業。

九月
京都第三高等学校へ入学。

四十三年六月
卒業。

九月
東京帝国大学医科大学へ入学。

大正三年十二月
卒業。直に大学院に入り、生理学、血清学を専攻す。

底本:「年譜」(『小酒井不木全集 第十二巻』改造社・昭和5年5月21日発行)
   「『年譜』の一部訂正」(『小酒井不木全集 第十七巻』附録・改造社・昭和5年10月10日発行)

(作成者の氏名はないが、編集実務を担当した岡戸武平の作成したものと思われる。)

テキスト資料の公開を第一義に考え、敢えて訂正済みの形をとっておりません。訂正該当箇所はフォントの色を変えて表示しましたので、ご参照下さい。

(公開:2004年11月29日 最終更新:2019年11月27日)