「耽綺社打明け話」 土師清二(『大阪朝日新聞』1929(昭和4)年2月3日)
まづ朝日新聞から夕刊連載小説約三百五十回、興味深き作品を提供せよ、といふ注文を耽綺社が受けたとします。この交渉を受けるのは耽綺社々長(兼事務員にしてしまふ傾向が少しあつて社員一同恐縮中の)小酒井不木氏で、同氏は早速東京在住の平山、長谷川、江戸川三氏と大阪在住の私とに集会を通知して来られる。会場は毎回名古屋で、同地在住の小酒井、國枝両氏と同人六人が集る。
これまでの例によると小酒井氏がストオリーの根幹となるものをニ三提供される。これは同氏が博識強記東西古今にわたつてゐられるからで(真に驚くばかりの博覧強記だ)それを同人一同で評議し取捨按配して一篇の小説の骨子が組立てられることになります。
で、朝日新聞で三百五十回分ならば原稿にして何枚、興味の盛り方はかうとなると、その時代の考査、人物の配列をきめ、それから最初の第一回から最終の第三百五十回の大団円までの筋書をこしらへます。耽綺社として同人全部が全能力を傾倒して苦心評議するのはこの筋書で、三百五十回の大長篇とすると原稿用紙にして百枚(文字数にして四万字、余白ができても三万字は降らず)以上のものを作ります。それだけのものをともかく一度纏めあげ、筋を通して置いて、また評議にかけます。
さて同人一致で『これでよし』となると(こゝから先をいつてはどうかと思はれますが打明け話だからやむを得ません)同人中で筆者の詮衡が行はれます。剣戟物ならば國枝史郎、世話味に富んでゐるものなら長谷川伸、情緒的なものならば平山蘆江といつたやうに適材をつかまへる(実際みんなでつかまへるのです、各々耽綺社々員としての責任の重大を感じるので横着の意味からでなく逃げたがる傾向があります)つかまへられた同人は承諾すると多少自家の創意も加へて懸命に、筆を執るといふのが『耽綺社の小説作法』の大体の過程であります。この例は新青年の『飛機睥睨』で、怪奇な探偵小説であつたので筆者は江戸川氏でした。
脚本の場合は、筋書までは小説と同じですが、書上げるのは同人がその場その場の役を受持つて台辞をいふ、それを筆記にとつて完成します。かう申すと簡単なやうですが時に甲論乙駁真剣で、しかも愉快至極な意見の乖離、衝突もあつて容易には纏まりません。
(公開:2025年1月15日 最終更新:2025年1月15日)