35歳
・浜尾四郎(29歳)、子爵となる。東京地方裁判所検事として勤務。
・岡戸武平、八事療養所を退院。
「随筆・大衆文芸史の小酒井不木」(八木昇 『麒麟』 昭和48年3月)
大正十四年秋、白井喬二を中心に在京の作家群(主として報知、都両新聞に拠る)が会同して結成された二十一日会は、広く中京、阪神に在る有力作家に加入の呼びかけを行い会の充実を計った。その結果、長谷川伸が宝塚在住の土師清二に連絡をとり、白井喬二が名古屋の「講談雑誌」以来の同僚作家国枝史郎を説き、国枝が不木に話をもち込み、そして不木が、いつも心に掛けていた乱歩に入会を勧めたという次第であった。そして全体を通じて、幹事役の池内祥三がマメに勧誘に動いたのである。
(岡戸武平 『不木・乱歩・私』 昭和49年7月)
これが私の発病時のいきさつで、結果はとうてい勤務にはたえられなくなって郷里へ帰り、ついで完成間もない名古屋市立八事療養所に入所した。ついで妙見山にある日赤療養所に移り、大正十四年秋半全快といった状態で退所した。もちろんまだ復職するといった健康状態ではないので、何か収入源を探さねばならぬ。といって名古屋では新聞社以外に原稿を買ってくれる出版社もなく、仮りにあったとしても無名のわれわれ如きものの原稿を買う筈もない。一つ懸賞小説でも書こうかと思っていると、名古屋新聞時代の先輩で新聞社をやめて「医海」という雑誌を発行していた男(小尾菊雄という)から、小酒井不木が助手を探しているがやらぬかという話があった。渡りに舟である。すぐ承知の返事をして訪問日をきめてもらい、その日鶴舞公園裏の小酒井邸をおとずれた。話はすぐきまった。仕事はさしあたって「闘病術」を書くことで、君の体験を基いにして萎縮している患者の心をふるい立たせ、人体には自然治癒力という偉大な力があるのだから、その精神を掻きたてる内容のものを書けばいいのだという話だった。
「医家兼文学家で余の好む人々」(小酒井不木 『医文学』 大正14年8月号)
先月、九州の小川博士から益軒先生の手紙を御恵贈に預つたので、私は嬉しくてならず、直ちに机の前に掲げて、日夜それを見上げては、いふにいへぬ感動を与へられて居りますから、私は日一日先生に対する親しみが深くなるを覚えます。そのうちには、益軒でなくては夜も日もあけぬやうになるかもしれません。
「ポオとルヴェル」(小酒井不木 『新青年』 大正14年8月増刊号)
アメリカに居る時分、毎晩Detective Story Magazineを読んで、決して読み残しはしなかつたものだが、近頃はこの雑誌と英国のDetective Magazineとを取つて居ながら、一月に三篇か四篇ぐらゐづつしか拾ひ読みが出来なくなつてしまつた。
「犯罪研究に関する著述数種」(小酒井不木 『新青年』 大正14年11月号)
探偵小説では、例の「義賊ラッフルズ」の作者として名高いホーナングのThe Thousandth Womanといふのを読んだ。
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次に犯罪研究に関する著述で、最近私が目をとほしたのは次の六冊である。
1. F.Tennyson Jesse: Murder and its Motives.
2. C. L. McCiluer Stevens: Famous Crimes and Criminals.
3. E. Lester Pearson: Studies in Murder.
4. John C. Goodwin: The Soul of a Criminals.
5. E. Bowen-Rowlands: In Court and out of Court.
6. C. E. Pearce: Unsolved Murder Mysteries.
「小酒井不木より江戸川乱歩への書簡 全:大正14年1月26日」
拝復、東京よりの御手紙と共にうれしく御消息拝誦致しました。先日は折角の御来訪に何の風情もなく失礼しました(。)然し非常に愉快であつたことは忘れられません。
「父不木の思い出」(『別冊・幻影城No.16 小酒井不木』昭和53年3月1日発行)
当時、時折り父を訪ねて来た人に江戸川乱歩氏がある。丸坊主でむっつりした顔の氏には、私はなじめなかった。愛想のよい森下雨村氏(当時『新青年』編集長)とは対照的であった。氏と父が乱歩氏の探偵作家として世に出るきっかけを作った話は有名であるから、詳しく述べる必要はあるまい。
「随筆・大衆文芸史の小酒井不木」(八木昇 『麒麟』 昭和48年3月)
不木が国枝と知り合ったのは、同年の七月二十四日の夜、名古屋ホテルにおいてである。江戸川乱歩の不木訪問に便乗して「苦楽」の川口松太郎が乱歩に同道。川口は「苦楽」に「神州纐纈城」を連載中の国枝を誘い、乱歩は不木を誘って名古屋ホテルに会した。不木は本田緒生を伴い、国枝と初めて顔を合せた。談は川口の大衆作家連盟構想までとび出して尽きるを知らなかった。
「会の日誌」(『探偵趣味』大正14年9月号)
◇名古屋の会
同じ八月八日、名古屋では小酒井博士のお宅で同地会員の小集が催された。國枝史郎、本田緒生等七名の会員が集り膝を交へ歓談した。同地第二回の会合は九月五日同じく小酒井氏宅で開かれた。なほ、小酒井氏は『名古屋新聞』に探偵に関する文章を書いて、会の宣伝をされる筈。
(公開:2007年2月19日 最終更新:2022年9月9日)