小酒井不木年譜


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1923(大正12)年

33歳
・浜尾四郎(27歳)、東京帝国大学法学部を卒業し、司法官試補を命ぜられる。

【年譜】
十二年十月 名古屋市中区御器所町北丸屋に新築移転。文筆生活はじまる。

この年

1月

「父不木の思い出」(『別冊・幻影城No.16 小酒井不木』昭和53年3月1日発行)
 父にスエーデンの探偵作家ドーゼの翻訳がいくつかあるが、古畑博士がヨーロッパ留学中に、父がたのんでドーゼの小説のドイツ語版を送ってもらったのがいくつかあると聞いている。

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

「父不木の思い出」(『別冊・幻影城No.16 小酒井不木』昭和53年3月1日発行)
 大正十二年、関東大震災のあとで、当時名古屋の郊外、鶴舞公園の近くの御器所町に新居を作って、母と三人で移り住んだ。この家は現在も残っている。
 一階の玄関わきに洋風の書斎があり、二階の一室に畳の上にベッドを置いた父の寝室があった。母と私は階下に寝ていた。女中を加えて四人の生活であった。
 父は午前四時頃まで執筆をし、それから十時頃まで寝るという生活であったので、私が小学校へ行くようになってからは、父と一緒に食事をするのは夕食だけであった。父は比較的少食で、しかも早かったために、食事はすぐ終ってしまい、早々と書斎へ引きあげてしまうことが多かった。

「名古屋作家史」(岡戸武平 『め』 昭和32年9月8日発行)
 最近小酒井不木先生の旧宅前に、市の文化財委員の手によつてその旨の標柱の立つことを聞いた。(中略)昔は御器所町北丸屋といつていた。現在は昭和区桜井町一丁目八番地。
 昔この家へ行くには鶴舞公園前市電を降りて、公園の中をぬけて倚門橋(いもんばし)を渡り東へ五、六丁行くと、昔の郡道へ出る。その郡道の手前二軒目で、この家へは江戸川乱歩はしばしば足を運んだし、国枝史郎、川口松太郎、土師清二、本山荻舟、平山芦江、その他大衆文芸にその人ありといわれる作家は、ほとんど一度は訪問している。大袈裟にいえば、大衆文芸のメツカであり、事実またこの家から、今日いうところの大衆小説が生れたといつても過言ではない。それは小酒井不木が、当時すでに大衆文壇の大御所であつたという意味でなく、不木が病弱のため外出が思うに任せなかつたからである。

11月

12月

(公開:2007年2月19日 最終更新:2019年11月27日)