31歳 東北帝国大学医科大学教授
【年譜】
十年九月 医学博士の学位を受け、翌年東北大学教授を退職す。(遂に任地に赴かず)爾来引続き静養、病ひ一進一退の状態にありしが、稍良好なるを見て、
「各学部教授会ニ於ケル学位請求論文審査」(『東北帝国大学一覧 自大正十一年至大正十二年』 1922(大正11)年12月25日発行)
愛知県平民 小酒井光次
論文審査ノ要旨
滲透圧ノ研究(英文)
本論文ハ前後ニ編ヨリ成リ、其ノ前編ニハ硼酸ト赤血球トノ時異ナル関係ヲ叙述シ後編ニハ前編ノ研究成績ト「フオルムアルデヒード」並ニ尿素ニヨル溶血現象トヲ比較シテ滲透圧ノ本態ニ論及セリ。
(大正十年五月十三日医学部教授会審査)
「医学博士」(『学位録』 1926(大正15)年3月30日発行)
氏名 小酒井光次
学位授与認可年月日 大正一〇、八、一九
「◯沿革略」(『東北帝国大学一覧 自大正十一年至大正十二年』 1922(大正11)年12月25日発行)
大正十年
九月教授小酒井光次医学博士ノ学位ヲ授ケラレ
「雑感」(小酒井不木 『新青年』 大正15年2月号)
大正十年の秋、つれゞゝなるまゝに、東京日々新聞に、「学者気質」なる随筆を発表して、その中に探偵小説のことを書いたが因縁となつて、森下雨村氏と知己になり、「新青年」へ犯罪に関する雑話や探偵小説に関することなどを発表させて貰つて今日に至つたのである。病中、森下さんが、どしゝゝ海外の探偵小説を送つて下さつたので、病気の方はそつちのけになり、幸ひに、起居に不自由のない迄に恢復したのであるから、森下さんと「新青年」とは、私の病気を治してくれた恩人に数へることが出来る。
「小酒井氏辞表/教授会は保留」(『東京日日新聞』 大正10年10月10日)
東北大学医学部衛生学教授小酒井光次博士は帰朝後郷里名古屋にて宿痾の治療中であるが八日教授会迄辞表を提出して来たので教授会では協議の結果二年でも三年でも恢復する迄待つと云ふ事となり辞表を保留した因に衛生学の講座は当分東大の横手教授に依頼するとの事である(仙台電報)
(公開:2007年2月19日 最終更新:2025年1月7日)