31歳
【年譜】
十年九月 医学博士の学位を受け、翌年東北大学教授を退職す。(遂に任地に赴かず)爾来引続き静養、病ひ一進一退の状態にありしが、稍良好なるを見て、
「雑感」(小酒井不木 『新青年』 大正15年2月号)
大正十年の秋、つれゞゝなるまゝに、東京日々新聞に、「学者気質」なる随筆を発表して、その中に探偵小説のことを書いたが因縁となつて、森下雨村氏と知己になり、「新青年」へ犯罪に関する雑話や探偵小説に関することなどを発表させて貰つて今日に至つたのである。病中、森下さんが、どしゝゝ海外の探偵小説を送つて下さつたので、病気の方はそつちのけになり、幸ひに、起居に不自由のない迄に恢復したのであるから、森下さんと「新青年」とは、私の病気を治してくれた恩人に数へることが出来る。
「小酒井氏辞表/教授会は保留」(東京日日新聞』 大正10年10月10日)
東北大学医学部衛生学教授小酒井光次博士は帰朝後郷里名古屋にて宿痾の治療中であるが八日教授会迄辞表を提出して来たので教授会では協議の結果二年でも三年でも恢復する迄待つと云ふ事となり辞表を保留した因に衛生学の講座は当分東大の横手教授に依頼するとの事である(仙台電報)
(公開:2007年2月19日 最終更新:2020年3月13日)