27歳
【年譜】
六年十二月 東北大学医学部助教授拝命。同時に衛生学研究のため海外留学を命ぜられ春洋丸にて渡米一ヶ年研究。
「職員異動」(『日本医学専門学校一覧』1920(大正9)年3月23日発行)
(担任学科)生理学
(就職年月)大正六年九月
(退職年月)大正六年十月
(職名)教授
(学位称号)医学士
(氏名)小酒井光次
「◯沿革略」(『東北帝国大学理科大学医科大学一覧』 1919(大正8)年2月8日)
大正六年十二月東京帝国大学医科大学助手小酒井光次同大学助教授ニ任セラル是ヨリ先キ小酒井光次ハ衛生学研究ノ為メ満ニヶ年間米国英国仏国瑞西国ヘ留学ヲ命セラル
「よしあし草」(『医学及医政』 1918(大正7)年1月)
春洋丸ではお医者の米国行が多かつたのでお医者連の見送も可なり多かつた。長崎医専の石田昇、千葉医専の松本高三郎(精神病専攻)、東北大学の小酒井光次(衛生学専攻)夫から鉄道院からは災害医学研究の為めに派遣された内藤楽がゐた。
「序」(長尾藻城 『西洋医談』 小酒井光次 克誠堂書店 1924(大正13)年7月18日発行)
博士が欧米留学の途に上らるゝ時、偶然にも私が一友人の外遊する者を見送つて横浜埠頭に至つた際、春洋丸の甲板上で、多年渇仰の的になつてゐた博士に刺を通ずる光栄に浴した。一見さながら十年の旧知の如く、手に手を取て打喜び、相立むで紀念の撮影などをしたことが、今猶ほありゝゝと私の記憶に残つて居る。思へば奇しき因縁といはねばならぬ。こゝに交際の緒が開かれて、博士の外遊中、知人と合作の絵葉書などを投ぜられたこともある。
(公開:2007年2月19日 最終更新:2025年1月7日)