メニューに戻る

名探偵の肖像3:Yuzo Nonoguchi

“機智”と“諧謔”が事件の真相を照射する!
『醒睡笑』片手に推理する私立探偵 野々口雄三

 

野々口雄三の事件簿

  1. 「通夜の人々」(「苦楽」大正14年7月号)
  2. 「ふたりの犯人」(「苦楽」大正14年9月号)

作品紹介

「通夜の人々」

 先月来新聞紙面を賑わし、野々口の気にかかっていた二つの事件。蟹江町で起こった、娘の受験失敗を苦にした母親の自殺と、その二日後に起こった「三人斬」。三人斬の被害者は町の有力者吉田吾平氏の娘とみとその母、孫の太郎の三人で、娘の亭主が容疑者として逮捕されていた。
 野々口の元に吉田氏から事件調査の依頼がくる。氏によれば、娘は死ぬ間際に犯人は亭主だと証言したのだという。しかし吉田氏には娘婿がそんな事をする人物には思えないし、物的証拠は何一つ挙がっていない。金銭、痴情のもつれのような動機も考えられない。そこで野々口は依頼を引き受け、調査を開始する。
 容疑者英三郎の証言によりいくつかの事実がわかる。事件の前夜、彼と妻とは息子の学校用具の中に五円紙幣が入っているのを発見し、それがもとで諍いを起こしていたこと。息子太郎はその紙幣を誰からもらったのか、結局話さなかったこと。娘の入試失敗で自殺した母親は佐藤了蔵の妻でつねといい、近所に住む評判のヒステリーであったこと。
 野々口は事件関係者に尋問を繰り返すが、新聞記事で眼にした以上の情報を入手することが出来ない。人々は口をそろえて自分たちが英三郎の潔白を信じていることと、とみは錯乱して「犯人は亭主」と言ったに違いないということを主張する。そればかりか、「犯人は亭主」という言葉をとみから聞いたという当の巡査は「亭主」と言ったか「英三郎」と言ったか、臨終の言葉を混同してしまっている。野々口は巡査が先入観でとみのメッセージを聞き間違えたのだと判断した。
 野々口は『醒睡笑』を取り出し、頁を開く。新聞による先入観を捨て、三人のうち誰が最初に殺されたのか、誰が犯罪の動機となっていたのかを考える。そこで見えてきたものは……。
 野々口が探り出した新たな事実。殺された太郎と佐藤了蔵の息子とは大親友であり、学業では一二を争う優等生であったが、常に太郎の方が優秀であったということ。さらに野々口は了蔵の妻の自殺の原因が娘の受験失敗であったという情報を手にする。だとすれば同じ様な虚栄心が夫の了蔵にないとは言い切れない。そうだとしたら……。自殺事件と三人斬には大きなつながりがあるに違いない。ならば「犯人は亭主」という意味のダイイング・メッセージをどう解釈するか? 野々口は事件の周辺に「亭主」という意味に聞き間違いそうな言葉を捜す。
 そして通夜の席、容疑者に眼を光らす野々口の目の前で、事件の意外な真相が明らかになる……!

「ふたりの犯人」

 野々口が昨今興味を抱いているのが「鳴海二婦人殺し」報道である。一つの事件に二人の犯人が別々に現れてしまい、警察当局を混乱に陥れているという。野々口はこの事件を扱う武藤予審判事の依頼により、事件の調査を開始する。
 離れ座敷で女中川上うたと留守居の佃房江が殺された。房江には陵辱のあとがあり、小田鶴三という男が逮捕され犯行を自供したが、予審の段階で自白を翻している。しかもその後北尾八太郎という前科者が逮捕され、自分の犯行であることを自白したため、混乱に拍車をかけることになった。事件は世人の注目するところとなり、色町界隈ではどちらが真犯人かで賭をするような騒ぎまで起こっているという。
 武藤判事が野々口の元を訪れたのは、事件について野々口の見解を聞きたいばかりではなく、鶴三の予審調書の一部が盗難にあうという事件を捜査してもらう為でもあった。調書を持ち出しそうな人物……給仕の佐藤、同僚の川田、馴染みの芸者芳香、武藤判事の周辺に数人の疑わしい人物が浮かぶ。しかも武藤氏はこの事件の成り行き次第では予審判事としての立場も危ういという。野々口は事件を解決し、武藤氏を助けるべく推理を始めた。
 何故鶴三は自供を翻したか、もう一人の“犯人”八太郎が逮捕されたのは鶴三が逮捕された後なので、彼は八太郎という人物の存在自体を知らないはずである。だとすれば八太郎とは関係なく、鶴三自身に自白するべき理由、自白を翻すべき理由があったに違いないが、それは何か? 鶴三の自白に含まれる矛盾と欠陥こそが、事件解決の鍵であるとにらんだ野々口。『醒睡笑』の中に答えはあるか? 野々口の頭脳が導き出した真相とは……!


名探偵は名古屋在住

 野々口雄三は全国に名を轟かす私立探偵であるが、住んでいるのは名古屋である。その理由は「東西に活躍するに便利なため」と勇ましいが、実際のところは実家が名古屋であるかららしい。事務所は名古屋市鶴舞町、開設してまだ一年に満たないが、仕事の依頼は名古屋周辺だけでなく東京から、大阪からと引きも切らない。ある時は朝鮮総督府からの直々の依頼で京城まで出向くこともあるほどである。
 三十歳で独身、東大法学部卒業後すぐに警察学校講師となり、辞職して私立探偵事務所を開いた。二人の書生と一人の女中との四人暮らしで、他に家族はいない。毎朝二時間、じっくりと新聞を眺めるのが彼の日課である。そこから犯罪に関係した記事はどんなものでも細大漏らさず切り抜き、研究を怠らないのだ。
 野々口の郷土愛は当然、建造物にも及ぶ。

 歩くともなく歩いて居るうちに、彼は北練兵場へ出た。彼は、いつ見ても、名古屋城の姿に一種の感激を覺えた。これまで、難事件に出逢つた時、彼はこの練兵場へ來て、五時間も六時間も暮すことが度々あつた。

「探偵に必要なものは機智(ウイツト)と諧謔(ユーモア)とである」

 彼は常にポケットに有朋堂文庫の『醒睡笑』を入れて持ち歩いている。彼は難事件に直面するとその頁を開き、「不思議にも解決の曙光を認める」のだ。

 この書は徳川初期の茶人、安樂庵策傳が、一代の名奉行板倉重宗のために、聞き集めた笑話を記して贈つたもので、後世幾多の笑話の源流をなして居るといつてよい。彼はいつも探偵に必要なものは機智と諧謔とであると考へ、この書をポケツトからはなしたことがないのである。この書の中には板倉伊賀守の取り扱つた裁判事件も書かれてあるので、かたゞゝ彼は愛讀してやまない。彼はいつも難問題にぶつかると、この書のどの頁でもいゝから開いて讀み、然る後よく考へて解決の緒を見出すのが常であつた。むかし江戸の探偵箕島桐十郎は、難事件に逢ふと、船宿から船を出させ、沖釣に托して考へをまとめたさうであつて、當時に於ては桐十郎の「船思案」として名高く、船思案の結果は必ず眞犯人の發見となつた。それと同じやうに野々口は「醒睡笑」の思案によつてこれまで多くの事件を解決したのである。

 単なる気分転換じゃないかって? それは言わないで。

 野々口雄三が『醒睡笑』を開く時、それは彼の頭脳が全ての先入観を捨て去り、全ての事実を矛盾なく並べて説明出来る解決を導き出す時なのである。

 

本文中における引用は『小酒井不木全集 第三巻』(改造社・昭和4年5月)を底本としました。