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名探偵の肖像4:Ryuzo Matsushima

運命に導かれたクライム・ハンター見参!
医学を極めた冒険児 私立探偵 松島龍造

 

松島龍造の事件簿

  1. 「手紙の詭計」(「苦楽」大正15年1月号)
  2. 「外務大臣の死」(「苦楽」大正15年2月号)
  3. 「催眠術戦」(「苦楽」大正15年4月号)
  4. 「新聞紙の包」(「苦楽」大正15年6月号)
  5. 「偶然の成功」(「苦楽」大正15年8月号)
  6. 「姐妃の殺人」(「苦楽」大正15年10月号)

作品紹介

「手紙の詭計」

 苦学の末ロンドンで開業医として成功した松島は、久しぶりに帰国して生家を訪ねようと思い立った。しかし松島は三年前、弟と共に渡った朝鮮の病院で腸チフスの為に死亡したことになっているらしい。そこに遺産をめぐる陰謀の匂いを嗅ぎ取った松島だったが、今となっては実家の財産などに未練のない自分の心持ちを弟に対して明らかにしてやった上で、自分は全てを忘れてロンドンに戻るつもりで、生家の門をくぐった。二十年ぶりに逢った弟は大いにやつれ、もはや子供時代の面影はどこにもない。彼は松島が名乗ると非常に興奮し、ピストルまで取り出して松島を追い出してしまった。
 弟の為に生きながら死者にされてしまった自分の身の上を愉快にすら感じていた松島だったが、この弟の余りの態度に、ちょっとした復讐を企てる。どうも観察したところ弟は胸腺淋巴体質で、少しのことでも過度に恐怖しやすい性質であろうから、何かの機会を利用して、強い恐怖を与えてやろう。それが松島の考えた復讐であった。
 弟の方は松島の来訪以来、それまでもただでさえ人前に姿を見せなかったものが極端にエスカレートし、獰猛な犬を飼いはじめたばかりか、面会は一切拒否、電話も取り外し、訪問者は幾かの商人と新聞配達、郵便配達ばかりという有様になってしまった。そこで松島は郵便配達夫として弟のもとに届く手紙の差出人を観察し、弟がとある信託会社の貸金庫に、何か貴重な品物を預け入れていることを突き止めた。次にその会社に欠員が生じたのに乗じて社員となった松島は、しばらく働くうちに支配人に気に入られ、彼の手伝いを任されるようになる。支配人が弟に送る、委託品の無事を知らせる手紙は週に二回。それを松島が代書し、支配人が内容を改めた上で検印を押し、封をするのである。従って別の文言を書き入れたり、別の手紙を紛れ込ませたりすることは不可能で、しかも弟は支配人の検印のない手紙は警戒して一切開封しないのだという。
 そんなある日、会社に盗賊が入り、有価証券の入った金庫が破られて中身を持ち去られるという事件が起こった。弟が貴重品を預けていた方の金庫は手つかずだったのだが、新聞でニュースを知った弟からは、矢のような催促で委託品の無事を確認する手紙を至急よこすようにとの依頼が来る。松島は委託品の無事と有価証券の被害者たちへのお悔やみを書いた手紙を支配人に渡し、支配人は検印を押して封を閉じた――。手紙で人を殺すほどのショックを与えようという松島の取った詭計とは果たして何か? そして、復讐の結果は如何に!?

「外務大臣の死」

「もし犯人が文字通りの殺人藝術家であつて、故意に無頓着な殺人を行つたとしたならば、それこそ難中の至難事件となる」。そう語る松島龍造が直面した至難事件、それが「D外相暗殺事件」である。
 二年前の九月二十一日の夜、政治的・外交的に重要な目的をもったパーティーが盛大に催された。あいにくの悪天候であったが、出席者は首相はじめ各国務大臣夫妻、各国使節夫妻らそうそうたる招待客。パーティーの最中、強風のために停電が起こり、皆が息を凝らして闇の中で立ちすくんでいると、一隅でパッと火が燃え、ドンという音がした。風の音、婦人達の悲鳴、人々の走る音――! 5分後、ボーイ達がランプを運んでくると、D外務大臣が胸をピストルで撃たれ、床に仰向けに倒れているのが発見される。外相は丁度、首相と米国大使と警視総監との歓談中に撃たれたもので、平素冷静をもって知られる総監も狼狽した体で外相を抱き上げ、口に手を当ててみたり、脈を取ってみたりしていたが、外相は既に絶命していた。総監は自ら警察に連絡すると現場の指揮を取り、犯人の捜索を開始する。犯人は客に化けて入り込んだか、あるいはまさしく客の中の誰かであるかと思われるのだが、こと重要な外交に関係してくることでもあり、招待客の身体検査を行うことすら憚られるのだった。そして、事件から一ヶ月が過ぎても、事件解決に光明を見出すような手がかりは何一つ得られなかった。平素犯罪学にも興味を持ち、難事件には自分の意見を積極的に発言する警視総監も今回ばかりは手の打ちようがなく、マスコミからも責められる苦悩の毎日であった。
 そんな折、松島はD外相の夫人から事件の調査を依頼される。この事件の難しさを十分に理解していた松島は、「従来試みたことのない探偵方法」を行うことを条件に、調査を引き受けた。松島の思惑、それは一ヶ月前に起こった事件の夜を再現することにより、その「当夜の気分」を見極めることだという。そして首相のお声掛かりで、数十人の人々が再び現場となった屋敷に集められた。人々が事件当夜の通りに配置されると、明かりが消され、一発の銃声が轟いた。再び明かりがつき、一同は松島に注目する。この事件にはたった一つ大きな手抜かりがある、と松島は落ち着き払って言った。「それに、犯人もたつた一つ手ぬかりをして居ります!」
 しかしそれから数ヶ月、D外相暗殺犯は捕まらぬまま年が明けて早々に、警視総監が半身不随になって倒れたとのニュースが報じられた。総監の官邸から呼び出しを受けた松島が訪問すると、既に総監は虫の息であった。総監の最期の願い、それはD外相暗殺の犯人を見つけ出すこと。その為にも死ぬ前に松島の言う犯人の手抜かりとは何であったかを聞いておきたい……。最初は言葉を濁していた松島だったが、臨終の床にある総監の耳元に口を寄せると、自分の考えていたことを告げた――!

「催眠術戦」

 丙午の迷信に恐怖するあまり婚約を破棄すると言い出した齋藤百合子。その婚約者である田安健吉は、松島に彼女の迷信を取り除いてくれるよう相談に訪れる。話によると彼女が丙午の話を持ち出したのはここ最近のことで、彼女が住んでいる叔父の家に一人の医学士が寄宿する時期と重なるという。それを聞いた松島は、田安と連れ立って、百合子の叔父圭治の邸宅を訪ねた。
 婚約破棄の話を聞いた叔父も仰天し、是非とも松島の得意とする催眠術で、百合子の迷信の原因となった事情を探ってくれるよう依頼する。そして百合子が呼ばれ、松島は彼女に催眠術を施すことになった。百合子は誰かに催眠術による暗示をかけられている! それが松島の発見した事実であった。しかも犯人はその暗示を解かれぬよう、彼女の死んだ父母のイメージを利用して何重もの催眠暗示を施しているのだ。この術を施した強力な敵、それが彼女と共に叔父の家に寄宿する柘植医学士であった。
 柘植医学士の陰謀を警戒する松島は、田安を叔父の家に留めることにした。しかしその真夜中、田安から電話が入る。「僕、柘植君を殺しちやつたんです……」早速駆けつけた松島は、血溜まりに俯せに倒れる柘植医学士の死体を検査すると言った。「田安さん、いゝ加減のことを言つてはいけませんよ!」
 果たして松島は何を発見したのか? そして柘植医学士殺害事件の真相は意外な過去の出来事へとつながっていた……。

「新聞紙の包」

 夏の夜、8,000トンの汽船S丸は横浜を出航して、神戸に向かう平穏な航海の途中にあった。乗客の殆どは汽船の旅が珍しく、わけもなく辺りをうろつきながら甲板を行き来しているのだった。薄暗い甲板の灯りの中では目立たなかったが、ここに一人本当に焦燥を抱いて甲板を行き来する若者がいた。名は時國英三郎。S商事に勤務する若い法学士であった。かれは重大な目的、しかもある犯罪に関係した目的をもってこの船に乗り込み、そのチャンスをずっとうかがいながら甲板を行き来していたのだった。それは自分と恋人との間に出来た「あるもの」の後始末であった。今上着のポケットに入れてある新聞紙の包み、これを甲板から暗い夜の海に放り込むだけで良いのだ。しかし、しかし――。いざ実行する段になると、人の目が気になってどうしても出来ない時國であった。出航前には皆が甲板で食った弁当の空を海に投げ込んでいた。今深夜の甲板で海に物を投げ込むものは自分しかいない。如何にも怪しいではないか! だが、どうせ海中に沈んでしまえば何を投げたかなど誰にもわからない。このまま待っていれば朝になり、そうすればチャンスは永久に失われる! 時國は思い切って手の中の新聞紙の包みを海に向かって投げると、あとも見ずに船室へと駆け戻った。
 それから数日、包みは風に流されて下の甲板にいた船員に拾われたらしい。彼等は時國のもとを訪れると、彼を脅迫したのだ。時國は恐れをなして、松島の元へ相談にやって来た。松島は男たちの様子を聞くと何事かを思いついたらしく、翌日男たちが時國のところへやって来ると、彼等の前に「あるもの」を持って現れた……。

「偶然の成功」

 Hビルに入っているT商会の支配人から大切な手紙を盗まれたという知らせを受けた松島は、その手紙の奪還を依頼される。犯人と目されるのは前に秘書として雇っていた鳳恒子。彼女の性格に難があると判断した支配人は、やはり会社の社員で恒子の恋人であった田山が会社の金を使い込んだのを機会に、二人をまとめて解雇した。しかし今日になって恒子から面会の連絡があり、事務室で会談したのだったが、そこで支配人が目を離した隙に、卓上におかれていた会社の重要な手紙を持ち去ったらしいのである。しかもすぐに追いかけて手紙の返還をせまった支配人だったが、恒子を身体検査してもどこにも手紙は見つからず、支配人は逆に罵倒される有様であった。松島は話を聞き終え、彼女らとの交渉を任されると調査を開始した。支配人と別れてすぐに手紙の行方に気がついた松島だったが、ビルを出たところで後頭部にはげしい一撃をもらって、人事不省に陥ってしまった――!
 探偵が動いていることに感づいた田山によって、松島はアパートの六階の一室に拉致されてしまった。手紙が確実に手にはいるまでの間、松島をここに閉じ込めておくという。手紙が彼の手にはいる前に取り戻さないとT商会は大損を出すことになる。タイムリミットを定められた松島は、金銭で手紙を取り戻そうと交渉を開始するが、田山はそれを受け付けない。そして夜が明けて最後の交渉が始まった。何故か余裕一杯の松島。彼は手も足も出ないはずのこの状況で、如何なる方法を用いて手紙を取り返すというのだろうか?

「姐妃の殺人」

 知り合いの市江検事がある事件について松島に同行を求めてきた。S村という閑静な田舎にアトリエを建てて暮らしていた二人の青年芸術家のうちの一人が変死を遂げた。死んだのは小山という画家であったが、同居している彫刻家の西川の方が小山の死以後錯乱状態で、小山の変死体を解剖する為に運び出そうとしても、彫刻用の鑿を振り回して手に負えないのだという。検事が調査したところによれば西川と小山は心霊学の信奉者で、西川が霊媒となって世界中の有名な人々の霊と交際することが出来たのだというのだ。そこで検事は催眠術の第一人者である松島に心霊研究家になりすましてもらい、錯乱している西川を何とか説得してもらおうと考えたのだった。心霊学は本職ではない松島だったが、多少の好奇心もあり、検事に同行することを了承した。
 現場となったS村のアトリエは神秘的なたたずまいを見せていた。検事が松島を心霊研究家として紹介すると、西川は急に喜んで二人をアトリエの中に招き入れる。彼によれば小山の死は死ではなく、単に霊界に行ってしまっただけだという。その原因は一人の女であった。殷の紂王の妃であった姐妃。この稀代の妖婦の霊が小山を魅了し、霊界に連れて行ってしまった、そう西川は説明した。
 霊による殺人か? それともこれは殺人ですらないのか? 途方に暮れる二人の前で、西川は自分が製作したという姐妃の像をハンマーで叩き壊す――。


その横顔

松島氏は久しく英國に滞在して醫學を修め、歸朝してから六年、興味半分で犯罪探偵に從事してゐる人である。白髪が可なり澤山あるけれど、まだ五十前であつて、艶々した童顔には髭がなく、やさしい表情の中に兩眼だけが時々隼のやうに鋭く輝くことがある。
(「手紙の詭計」より)

“一度死んだ人間”

 松島の数奇にして波乱に富んだ人生の中でも、彼に探偵として生きて行くことを決意させたエピソードとして、特に記しておくべき事件、それが“松島龍造死亡事件”である。彼の友人である探偵小説作家がその顛末を「手紙の詭計」という作品にして発表している。
 それによると松島は七歳の時に母を亡くし、継母は実子である弟ばかりを可愛がって松島を疎んじていた為、資産家であり自分を可愛がってくれていた父が亡くなったのをきっかけに、十八の夏に家を飛び出している。彼は中国に渡って労働者として各種労働に従事し、それからイギリスに渡って苦学の末ロンドン大学の医学部を卒業した。そこで開業医として相当の生活基盤も出来上がったので、一度故郷の様子をたずねようと帰国するのだが、彼はそこで意外な事実に直面することになる。新たに取り寄せた戸籍謄本の記載によれば、継母は十年前に亡くなり、しかも松島龍造自身も三年前に死亡したことになっているのである。並の人間ならばパニックに陥ってしまいそうな状況だが、松島は持ち前の好奇心と冒険心を発揮し、“死人”という立場を楽しむかのようにしてこの事件の調査を開始する。この探索こそが以後松島を犯罪探偵に従事させる記念すべき第一歩となったのである。

抜群の頭脳・剛胆な精神・「探偵は芸術批評家である」

 大学で医学を修めたばかりでなく、二十数年間、労働者として、学究の徒として研鑽を重ねた松島は医学・科学の面ばかりでなく法律や社会学的な知識にも明るい。その持てる知識総てを総動員して、犯罪者を追いつめ、不可解な事件の謎を解き明かすのである。
 しかしそんな彼ですら困難を極めた事件がある。それが「D外相暗殺事件」だ。松島はこの事件の犯人を「殺人藝術家」と呼んだ。

「計畫された殺人では、いはゞ犯人の頭腦と探偵の頭腦との戰ひですから、探偵の頭腦さへ優れて居れば、わけなく犯人を逮捕することが出來ます。之に反して、無頓着に行はれた殺人は、萬事がチヤンスによつて左右されるのですから、むづかしい事件になると随分むづかしいですけれど、その代り容易な場合には呆氣ない程容易です。ところが、若し犯人が文字通りの殺人藝術家であつて、故意に無頓着な殺人を行つたとしたならば、それこそ難中の至難事件となるのです。」
(「外務大臣の死」より)

 松島は「殺人藝術家」に対し、「從來試みたことのない探偵方法」で挑んだ。すなわち、事件当夜の状況を寸分違わず再現し、その雰囲気によって推理する、というものである。もっとも実際は、その探偵方法の目的はその場の雰囲気を読むことにあるのではなかった。「殺人藝術家」たる犯人に対し、探偵の「批評」を敢えて聞かせる場を作ることが重要だったのだ。わざと真意を測りかねるようにぼかした「批評」を「殺人藝術家」の耳に入れることにより、その真意を犯人の方から探りに来ることを確信していたのだ。この人間心理を突いた、臨機応変にして大胆な発想こそ、名探偵松島龍造の真骨頂である。

 犯罪探偵に従事していれば、危険に遭遇することも度々である。そうした危険をかいくぐり、逆に犯罪者達の裏をかくことが出来るからこそ、松島は名探偵として名高いのだ。盗まれた手紙の奪回を依頼され、手紙の行方を突き止めたまでは良かったが、犯人達によって逆に拉致されてしまった時も、松島は意外なチャンスを利用して犯人達の目の前で堂々と手紙奪回の為の作戦を展開し、タイムリミットまでにまんまと手紙を奪い返してしまうのである。このエピソードは松島の友人が書いた「偶然の成功」という小説に詳しく紹介されている。

得意技は催眠術

 卓越した頭脳と大胆な行動力、それに加えて松島はさらに強力な特技を持っている。それがイギリス仕込みの催眠術である。

いかにも私は催眠術にかけては、相當の自信があるばかりでなく、少くとも日本のどの催眠術者にも負けないつもりであります。英國でも私の師のスウオープ先生以外の人ならば、誰にも引けを取りませんでした。
(「催眠術戰」より)

 催眠術を利用して人の心理を操る狡猾な犯罪者の正体を探るため、術をかけられた女性に対してさらに術をかけ返し、犯人のかけた暗示が如何なるものかを探る松島。この被術者の女性を介した犯罪者と松島との緊張感溢れる戦いは、数ある松島の探偵談の中でも特筆すべきものだろう。

 ある時はその特技を買われ、心霊学者になりすまして欲しいというような、的外れな依頼が来てしまうこともある。古代中国の妖婦である姐妃が憑依して殺人を犯したという怪事件に松島が巻き込まれたのはこうした事情からであった。

超人探偵が失ったこころ

 完璧に近い松島の推理を支える、何物にも負けない強靱な精神。松島の知力も実行力も、いってみれば総てはこの精神力の賜物である。しかし反面、松島に対して極端に冷酷な印象を覚えないでもない。万能であるが故、完璧であるが故、犯罪者を100%見逃さない驚異のクライム・ハンターは、その代償として何を失ってしまったのだろうか。

その時、私は、恐ろしいやうな、擽つたいやうな、一種の名状し難い感じがしました。松島龍造は法律上死んで居ないのですから、松島龍造の名を持つて居る私は、他人の名をかたる法律上の犯罪者である譯です。又、松島龍造は死んで居ないのですから、その幽靈である私はどんな犯罪でも自由自在に行ひ得るやうな氣がしました。私は戸籍謄本をながめ乍ら、悲しむといふよりも、却つて一種の愉快な氣分、即ち冒險心に富むものゝみが味ふ悽愴な愉快を感じました。
(「手紙の詭計」より)

 弟を医者の眼で観察し「胸腺淋巴体質」と診断したにも拘わらず、あえて死をもたらすかもしれないショックを与えようとする松島の動機は一体何だったのだろうか。本当に復讐心があったのだろうか。もしかしたら彼には、人の死というものをすら「愉快」に感じる、奇妙な感性があったのではないだろうか。

彼との對面の際、彼の私に與へた印象があまり不快なものでしたから、心に何となく憎惡を感じた私は、弟のこの特殊な體質を利用して、復讐――といふのも大袈裟ですが、何かの機會に、強い恐怖を與へてやらうと思つたのです。即ち彼のそはそはして落つかぬ性質、いはゞ慌てものなどに見る短氣な性質と、僅かなことにも驚き易い性質に乗じて、一本まゐつてやらうと計畫したのです。その時、私に快く面會してくれゝば、今頃私は英國に居ませうし、彼もまた悲しい運命に出逢はないで濟んだものを、思へば人間の運命といふものは、一寸したことで決定されてしまふものです。
 私の行つた詭計のために、弟は自殺したのですから、いはゞ私が彼を殺したやうなものですけれど、私はその時、少しも後悔しませんでした。あなたは弟の行つた犯罪に對して、彼の死を以て酬いるのは殘酷だと御思ひになるかも知れません。然し、弟は死なねばならぬほどの罪を持つて居たのでした。私が弟に逢つたとき、非常な不愉快を抱いたのは、つまり、弟の罪が直感的に私の潜在意識の中へ通じたのかも知れません。私は弟が自殺したときいて、むしろ一種の愉快を覺えました。さうして今でもまだ頗る愉快に思つて居ます。といふのは、實は、(後略)
(以上「手紙の詭計」より)

 自分の行動を「運命」と呼び、人の死に対して自らの責任を一切感じない神経。これは果たして強靱な精神というだけのものなのだろうか? 松島龍造にとって犯罪探偵はいわば余技である。優れた能力のおかげで他の誰にも解けない事件が「解けてしまう」というだけに過ぎない。遊戯に等しい感覚で犯罪者を次々と機械のように狩りたてる、ある種不気味な探偵、それが松島龍造なのである。

 

本文中における引用は『小酒井不木全集 第十三巻』(改造社・昭和5年6月)、『小酒井不木全集 第十六巻』(改造社・昭和5年9月)を底本としました。