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名探偵の肖像1:Saburo Goto

欧州に鳴り響くサブロー・ゴトーの名声!
ルパンの風貌とホームズの頭脳を併せ持つ
経歴不詳の超人探偵 後藤三郎

 

後藤三郎の事件簿

  1. 「画家の罪?」(「苦楽」大正14年3月号)

作品紹介

「画家の罪?」

 ドイツ・ドレスデンのホテルで、画家ハンス・レヒネルとリンダ夫人との結婚披露宴が行われていた。そこへ給仕が一枚の名刺を運んでくる。その客こそ探偵・後藤三郎であった。氏はグランド・ホテル逗留中のゴル男爵がその日の午後ピストルで殺害されたことをレヒネルに告げ、その死の少し前に男爵がレヒネル宅へ電話をかけていることはわかっていると説明し、同行を求める。披露宴の最中に現場のホテルへと連行されるレヒネル。ホテルのボーイの証言によってレヒネルが前日ゴル男爵を訪ねて来たこと、男爵と何か言い争いをしていたことがわかり、男爵の服のポケットから押収された手紙はレヒネルの家のタイプライターで打ったものであることが、後藤の捜査によって明らかになる。
 そして翌日、後藤のもとを訪ねたレヒネルは力無くゴル男爵殺害を自白する。
 法廷でレヒネルは殺害の動機についての証言を拒む。が、証人として席に着いたゴル男爵の秘書ヘルビングの証言により、レヒネルが男爵を訪ねてきたのは間違いないことが確認され、続くゴル男爵夫人の証言により、以前旅行中に自分の持ち物であった白金の髪飾りが紛失した折、姿をくらました同行の女性の一人こそリンダ・エーベルト、すなわち現リンダ・レヒネル夫人であること、しかも骨董屋でその髪飾りと全く同じものを発見して調べたところ、それを売った人物がレヒネル夫人であったことが明らかになる。ゴル男爵はレヒネル夫人を窃盗犯として告発し、髪飾りの返還を要求していたのだ。しかし現在既に髪飾りは骨董屋から別の人物に売られて行方知れずになっており、レヒネルは返還の交渉が決裂した為、ゴル男爵を射殺したものと判断が下される。
 レヒネル夫人は涙ながらに自分は偶然同じ形の髪飾りを持っていたこと、嫌疑がかかるのを怖れて姿を消したことを述べるが、裁判長は窃盗の事実にはあまり注目せず、レヒネルの自白の方を重く見て、レヒネルの衝動的犯行との判決を下そうとする。
 最後に証言台に立った後藤は、たった一言「被告は犯人ではない」と証言し、裁判長らを驚かす。証言台で開陳される後藤三郎の推理。果たして彼は誰を真犯人として告発したのか?
 真犯人が取り押さえられ、レヒネル夫人は感謝の念を込めて裁判長の手を握りしめる。そして裁判長に促され、真の功労者の姿を追ったが、彼の姿は風のように消えているのだった。


名探偵とは万能の超人なのだ

 「超人探偵」という言葉がある。探偵小説に登場する、快刀乱麻を断つ名探偵たちをある意味揶揄する場合にも使われる言葉である。ほんのわずかな手がかりから「何故そこまでわかる?」というような推理を展開しては一人悦に入る、そりゃ読者がそう言いたくなるのもわからないではない。しかし〈社会派〉の台頭によりリアリズム重視の作風、地道な捜査の描写が好まれるようになってくると、そんな現実と大差のない凡百の才能よりも、小説の中でくらいは天才の頭脳の煌めきを求めたくなる読者がやはり出てくる。今だ「名探偵」の称号が生き続けている理由はここにある。
 後藤三郎は、その「名探偵」イメージが日本に於いて形づくられた初期に生まれた探偵の一人である。その「超人」振りたるや、「超人」の本家シャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパンにもひけを取らぬ物凄さ。というよりもかなりご都合主義。

彼が何處で生れたか、いつ歐州へ渡つたか又どんな教育を受けたかは、彼と親しく交際して居るものでも、少しも知らない。あるものは彼がフランス人を父とし、日本人を母とした混血兒であるといひ、あるものは、彼が純粹の日本人だといつて居る。何しろ彼は、その顔つきが、髪こそ黒けれ日本人離れをして居るのと、日本語の外に英、佛、獨、露、伊西等の國語を自由自在に話すので、一寸逢ふと、フランス人かイタリア人かとしか思はれないからである。(中略)たゞ彼の風采を知りたいと思ふ人のために、彼が、モーリス・ルブランの描いたルパンに似て居るとだけ言つて置かう。然し、その性格はルパンとは違つて居るやうである。

 とにかく国際性が彼の特徴の全てである。「日本人離れ」していなくては、世界を股にかける探偵にはなれない。いや、むしろ物語の語り手自身「日本ではまだあまり知れ渡つて居ないが、名探偵サブロー・ゴトー(後藤三郎)の名は欧州大陸で、誰知らぬものもない」と語っている通り、初めから世界を舞台に活躍するために生まれた名探偵なのだ。
 彼の推理は徹底した直観推理。偽装された状況証拠から怪しい人物を割り出し、逆に罠を張って尻尾を出すのを待ちかまえる。外れてたらどうするのかなんて心配は無用だ。名探偵の直観は外れない。う〜ん、無理矢理な逆説。謎解きになって初めて新しい情報が彼の口から読者にもたらされたりするので「作者vs読者」のフェアな謎解きを期待する向きには全くお薦め出来ないが、名探偵の名推理を眺めるギャラリーに徹するつもりで接するなら、後藤三郎は名演者である。
 とにかく何でも出来る・何でもお見通し、という感じが何だか逆にぎこちないくらいだが、これは当時の「名探偵」イメージの一つの典型としては、非常に良く出来たサンプルと言えるだろう。後藤三郎ものは1作で終了してしまったが、彼の後にはより洗練され、より先鋭化された超人たちが生まれ育つことになるのである。

 

本文中における引用は「画家の罪?」(「苦楽」大正14年3月号)を底本としました。