メニューに戻る

日記

大正九年 航海日記

九月二十八日(火)
 宮川兄と共にSplendid Hotelから二台の馬車を雇つたのは午前九時半であつた。Section 8 dockに至ると人足不足なれども兎にも角にも凡ての荷物を首尾よく船に入れて乗船する。事務長余を見つけてDoctorの室に来てくれろとの事 doctorは西村君とて知己なり。自分からの希望として食事を船室にて食ふことを申出づ。Cabin No.4の婦人余のCabinと交替してくれとの事に諾す。Cabin Stewardは杉本君とて良好の人也。零時半賀茂丸は動き始む波止場に来る。オルガン引き共の憐なる姿に銭を投ずるものあり。曲調の何となく悲しく聞ゆるはひくものゝ心の哀しさか旅立つものゝ心の哀れさか嘗てホノルゝを出るときに聞いた「蛍の光」の曲の響が今も尚耳底に残る。二時Cabinにて食事す。早速Rice Curryを取る。飢ゑし腹のことゝて其のうまきこと言ふ限りにあらず。福神漬、海苔のつくだ煮、最早何となう日本気分也。マルセーユの町を離るゝとき欧洲大陸と別るゝの情いともたえ難し。船室に入りてより井出兄の手紙Viよりの二通の手紙を読む。堪へ難き気持となる。船に少しの動揺なくして平穏鏡の上を走るが如し。船に弱き自分も元気旺盛也。船に医人多し。宮川、名倉君を始め二等には戸川篤次君乗れり。天気快晴にして夕方の紺青の海、夕日の色などをしみじみ眺め込む。われ海の夕日を見ざること久しく、われハイネの詩に遠ざかること久し。アルカシヨンの思ひ出滾々として湧き出づ。夜月光皎々たり寝室に入りて余が顔を照らす。地中海上の月いふばかりなき荘厳也。「明月何皎々」の文選の詩を思はず口ずさむ。

九月二十九日(水)
 今日は天候少し曇れるも海は愈平坦也。或はデツキの上の籐椅子に横はり或は喫煙室に人々の色々のゲームを行ふを見たりす。子供沢山なればデツキの上自ら賑か也。夜塩湯に入る。

九月三十日(木)
 午前七時ボーイ室をノツクする。何事ぞととへばストロンポリ火山を見よといふ。食後形容を調へて出づ。左手にあたり朝雲のうす暗きに物すごき形を示して僅かの煙を吐きつゝあり。荘厳いふばかりなくスケツチを試みる。正午シシリー島を見初む。美はしとも美はし。エトナ火山静かに煙を吐く。人々多く写真を試みる。余は歴史を偲びて感慨無量、天の遊戯を観じ来るに転た(※1)皮肉なるものあり。日本食のみにしたれば何となう腹工合穏かならず。夜宮川兄とCabinにて語る。

十月一日(金)
 美はしき日なり。昨夜より風強し。午後船揺る。大したることなけれど快からず。腹に停滞の感ありて注意す。夕食後西村君に願ひ置きし胃薬を服す。甲板に出でてクリート島の薄き影を望む。半弦の月東空にかゝりて金波を漲らせて美はし。今日は湯を休む。

十月二日(土) 快晴
 船に胃腸を病むもの多し。下痢に苦しむ人凡て十余人。■■(※2)の古きに因を帰するもの多し。M兄もその一人也。早朝より絶食せりと云ふ。午後Vi、井出兄、谷口兄に手紙を認む。平凡のうちに日は暮れ行く。夕食は日本食味噌汁、茶碗むし等に舌鼓を打つ。

十月三日(日) 快晴
 正午頃ポートセードを遙かに望む。壱時半頃到着種々の奇観に接す。旅券の裏書を得て同行六人上陸す。南部商店に入りて鳥打帽を買ふ。後海辺に出でCasino Palace Hotelに茶を喫す。レセツプスの銅像を左手に見る。行く者多し。海辺は海水浴場也。再び街を散歩し南部商会に入り休憩。モツカを饗せられて其美味に舌鼓を打つ。六時帰船。甲板の物売り未だ去らず。石炭の積込み八分通りすむ。船室蒸すが如し。食後再び甲板に出づ。午後十時出発の予定延びて翌朝となる。本日は伊太利人の紀念(※3)祭に当るとて夜海上の花火あり。まゝ美はしきものありき。

十月四日(月) 快晴
 早朝ポートセードを発す。スエズ運河に入る最徐行也。剰へ二三の船を待つ毎に一時間宛を費しつゝ大に時間を削らる。両岸の風光別に賞すべきものなけれど時折りオアシスを見又駱駝の群を見つゝ楽しむ。砂原もまた珍らしきものの一つ也。普通十二時間余にてスヱズ港に達し得るに今日は其の半にも達せず。途中湖あり。夜また其処に船を待つ。

十月五日(火) 晴
 寝て居る間にスヱズに入港して且つ一時間余にして出発せしと云ふ。右にアフリカの山々左にシナイ半島の山々を望みつゝ進む。暑気追々増加し来る。されど風多くして涼し。

十月六日(水) 晴
 暑気甚しくつめたきものを欲すること繁し。夜デツキにアーム・チエヤーを運びて寝るもの多し。紅海の暑さまた思出の種なるべし。

十月七日(木) 晴
 今日ダーウインのA Naturalist's Voyage round the WorldをShip libraryにて借り来たる。暑気甚烈也。されど幸に余のCabinに風入りて涼し。

十月八日(金) 晴
 今日は余が誕生日也。満三十年、過去を顧みて恥づる所なきや否や過ぎ去りし歳月は致し方なし。来らむ月日を思ふ侭に活動せむ。Darwinの書を読みつゝ始めて紅海の意味を知れり。曰く
 March 18thの条に
 These are minutes cylindrical confervae, in bundles or raftes of from twenty to sixty in each. Mr.Berkeley informs me that they are the same species.
 (Tricho des mium erythraeum)with that found over large spaces in the Red Sea and whence its name of Red Sea is derived. と、されどかゝるものを見ず。今日は幸に風多く午後暫く甲板に睡れり。午前Sweep Stakeのticketを買ふ(一志にて)番号7なりしが当らざりき。

十月九日(土) 晴
 午前も午後もCabinと同じlevelのDeckに横はりてDe FoeのPlagneを読んだ。正午Adenを去る26哩の沖を通過した。愈々紅海を出たれば風涼しくして且つ強し。午後四時より水浴する者多し。夜早く寝に就く。この辺の海浮遊生物に富むと見えて夜燐光を見ること夥し。

十月十日――十三日
 毎日平凡な日が続く。風は到つて涼し船の動揺多少劇しければ船暈に悩む婦人あり。午後四時頃はいつも海は油を流せし如し。夕暮の雲の荘厳と夕日の美はしさは絵にするとも筆も及び難い。私は「咯血記」を書き初めた。又ShawのCeasar & Cleopatlaを借りて読んだ。トビ魚の盛んに飛ぶのをも見た。鯨も居たさうだ。時折プツリプツリと雨が降る。船にはGolfの試合其他が始まつた。自分は何もやらない。然し自分は体重を増したやうに思ふ。咯痰は仲々多い。二三日右の咽喉が物を呑み込む毎に痛い。扁桃腺がはれたのかも知れない。海洋上身体はダルイばかりだ。誰に聞いてもさうである。何時でも眠れる。夜は時たま蓄音器をならしたりした。何の楽しみもない。唯一の楽みなる思索も中々纏めるに骨が折れる。友などの政治論に耳を傾ける。別に名論も出ないやうだ。船の客達も何となうダレて居る。美しい女も居ない。

十月十四日――十六日
 兎角船客に倦怠の気が多い。デツキにてのゲーム盛んなれど自分は何もやらない。いややつてはならない。十六日正午コロンボに到着午食後ランチに乗つて上陸、茶谷、宮川木内氏と一代の自動車を雇ひて見物す。土人の風俗のみ珍し。植物園、博物館など些かも珍らしからず。古寺と雖も幽邃の気を欠いて居る。海浜で波打つ様を見るのも月並。たゞ椰子の樹と其実の多きを賞するのみ。偶々競馬ありて見る。バンガローに美はしきもの多けれどこれもとりとめて言ふ程のものなし。暑さは名物也。人力車多くして故国を思ひ出す。帰りがけ宝石を買ふ。

 猫の目 65 Rupee
 Pink Ruby 60 〃
 Alexandria 45 〃

 12 Rupee=1£

ColomboよりはVi、及能、正木、名和、三輪の諸君に手紙を出した。

十月十七日――二十日(水)
 月曜日からDeck Sportsが始まつた。子供の競技が面白い。豚の目を指すことや芋を拾ふ競技など人の眼を楽しませた。水泳(※4)で落しあいなど猛烈であつた。時々Showerが来て熱さを奪つた 何等の刺激も興奮もない。

十月二十二日
 早朝新嘉坡に(※5)く。Passportのため早く起きて見るに海上の島緑美はし。午前十時、茶谷、宮川Mr. & Mrs.及びMiss Thurnburと一日巡遊を約したので先づW.Y.K.に行き、それから自動車にて日清護謨園を見る。鈴木といふ人説明してくれる。採取方法を目撃す。早朝クーリー来て受持の木を傷くるといふこと、液の集め方などを聞く。工場にて酢酸を加へて凝固せしむる方法やゴム原料精製の有様など見る。後Johoreに至るFerryを渡つて来るのである。Mohamedan Temple植物園など見て帰る。帰途汽車に依る。

十月二十三日(晴)
 茶谷、宮川氏と共に山サと云ふ日本の釣堀の場所に行き新鮮なる鯛の生料理、サハラの刺身に舌鼓を打つ。後水源地、植物園を見て帰る。

十月二十四日――二十八日
 二十四日午前十一時出発、追々気候涼しくなる。サイゴン沖じめじめとして気持悪し。船の揺れることもまた幾分か強し。

(※1)本文ママ。
(※2)2文字。1文字目は虫偏に「土」、2文字目は虫偏に「戻」。
(※3)本文ママ。
(※4)本文ママ。「場」の誤植か?
(※5)本文ママ。「着」の誤植。

底本:『小酒井不木全集 第八巻』(改造社・昭和4年12月30日発行)