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日記

大正九年

五月三十一日

     病床に横はりつゝ   巴里にて
     ○
 蹴たゝましい音を立てつゝ街路を走るモーターカーの音も馴ればもう何ともない。窓をしめれば静かになるが、空気の流通は悪く、どうしても窓はあけて置かねばならぬ。血を咯いてから凡そ十八日、床の上から眺める街路の樹の新緑はいつしか濃緑に変つた。昨日一寸看護婦に支へられて立つて見たが、強かつた脚の筋がまるで古くなつたゴムで出来て居るかの様に二分と自分の身体を支へることが出来ない。自分は一体もうこれで再起不可能だらうか否かといふ問題が屡々頭の中を往来する。若し自分が真の天才だつたら、天はまだ自分を殺すまい。自分にはまだなすべき仕事が山程ある。これを仕遂げる迄天が自分の命を保つてゐてくれたらと、そればかり願はれる。これもどうなることかプロビデンスのみ之を語ることが出来やう。
     ○
 不治だといはれるこの病に侵されて、恢復の捗取らぬもどかしさに、動もすれば涙もろくなつて、少しのことに熱い涙が頬を流れる。自分は過去に於いて随分ないた。外国へ来て冷たくなる修行をしてもまだ涙もろい性質は消えぬ。然し科学者にも涙はなくてならぬ。涙のこもつてゐない業蹟に碌なものはない。宜しい、この涙を■(そそ)(※1)いで自分は自分の企てた仕事を完成しやう。
     ○
 同じくは実験室で血を咯かなかつたのが残念だ。如何に悲壮に又壮厳であつただらう。自分は来るべき運命をこの春からおぼろげに予期して居た。人間は苦しまねばならぬ。苦しみ多い、苦しみのうちに楽は自らある。甘んじて病苦を忍ばう。他人はより以上の精神上の苦しみをしてゐる。自分はまだその点に於いて遙かに幸福だ。上戸の心下戸知らずとある。病人の心持は決して健康者の測り得べきものではない。
     ○
 ある者はなぜ自分の病気であることを欲するのだらう。少し音信せぬと病気でないかと手紙をくれ、幸に病気でないと返事しても「それはよかつた」とは決して言つて来ない。人間といふものは妙な生物だ。何でも人に故障さへあれば、心の内で祝盃を挙げる。挙げたい人は勝手にあげるがよい。又同情したければ勝手にするがよい。自分は何れに対しても無頓着だ。沈黙のうちに真に人生の親切は横はる。たゞ自分の心眼を今少しく鋭く光らせねばならぬ。

六月一日
     ○
 自分は過去に於いてどれだけの仕事をしたであらうか。何もして居ない。して見るとまだどうしても死なれない。自分はどうしても自分の仕事を片づけねばならぬ。この仕事を終らぬうちは、自分の命も終つてはならぬ。あゝさうだ。これからだ。こんな僅かな病気位にがつかりするやうでは、未来に横はる大きな仕事が片づけられさうにもない。
     ○
 一体、この病気は人に嫌はれる病気であるらしい。人に伝染する責任を感ずれば自殺するのが一番の近道だらう。自分を生かして人を殺す(?)のと、自分が生きて居て人を助け得るのと一体どちらがすぐれて居るのか、これは自分では感ずることも知ることも出来ぬ。天はよくこの消息を明らかにして居る。もし自分が生き得たならば、自分は済世の為に生きたのであることを自覚せねばなるまい。
     ○
 柳桜をこきまぜたよりも美はしいのは巴里街頭のマロニヱの花であらう。雨後の新緑滴らむ如き中に、大地の精気の結晶かと思はるゝ白い花の小塔が無数に飾られる荘厳さは又とない都の春の錦である。その花もいつしか影をひそめて、盛りの春はまた来む年を契りて逝つて了つた。人間にもこの美はしい春がなくてはならぬ。そこで自分はこの春をもう経たのか、又これから経んとするのかをつらゝゝ考へて見る。どうもまだ経てゐない気がする。何となれば自分の身体は、凩に吹きまくられて、所謂蕭条たる有様に居るではないか。春はこれからだ。今に見よ一陽来復マロニヱの花にもまさる美はしい花を咲かせ見む。
     ○
 ゴロゝゝと胸に音を立てゝけたゝましい咳嗽と共に咯き出される猩々緋、次から次への咳嗽と共に忽ちコツプを充たす。半ば凝固せる血液、もう今に頭脳が朦朧となるかと打ち顫ふ手にコツプを支へながら、虫の息でヂツと眺めて居ると、不思議にも意識はハツキリとしてゐる。自分は今迄動物の血液を取扱つて血を見ることに馴れて居るため何ともないかも知れない。然し養ひ多き血液を失ふといふ観念はさすがに自分をして落胆せしめた。何となれば失つた血を補ふ為には甚だ長い時日を要するからである。
     ○
 一度血を咯くと不安の念に襲はれて夜眠ることが出来ない。かゝる時モルフイネ注射のなつかしさよ。よしやその眠りが不自然なものであつても、暫くの間でも不安の観念よりのがれ得たる嬉しさ、実際モルフイネ中毒を起す患者の心理状態も無理ではないとさとられる。なまじ浮世の苦を嘗むるよりは、阿片窟へでも入つた方がどれほどましかも知れぬ。然し自分はハツキリした意識で肉体の苦といふものを味はう。
     ○
 身に故障を持つてゐると、物凄い夢を見る。眠るといふことが、夢を見るためであるといふやうな観念が、どこか頭の隅に潜んで居る。夢はツルゲネーフのやうな巨匠でも及び得ない結構を持つとドストイエフスキーは、罪と罰の中に書いてゐるが、その排置の不自然で突飛なる、とても通常の連想作用で造り得るものでない。自分は怖ろしい夢を見た。自分が物凄い男から短刀を投げつけられたといふやうな夢を見たこともあつた。あゝさうだ。自分は今無数の顕微鏡的の鑿で、自分の身体の一部を削られつゝあるのだ。その鑿の刃は次から次へと新らしくなる。然し削らるゝ石とても軟かい部分ばかりではあるまい。その石をして硬からしめよ。これがわが一生の努力だ。
     ○
 徒然なるまゝに「罪と罰」及び「魔風恋風」とをK氏より借りて読むだ。さうしてこんなに人間の腕に径庭があるものかと驚いた。それは今度のカタストロフイーの前で、小咯血(五月初めの)をして、暫く室に閉ぢこもつて居た時であつたが、罪と罰を読んでゐると、今にも自分が血を咯きはしないかと思ふ程、何だか押しつけられる様な、恰も大きな蜘蛛が自分の胸(※2)を抱いて段々しめつけてくる様に感じられた。かうした径庭が科学者の仕事の上にもなくてはならない。天稟の才とはいひ乍ら何とか腕を達者にする道はなからうか。
     ○
「風車は取り去られても風はなほ吹く」といふ様な会話が「レ・ミゼラブル」の中にあつた。さうだ、自分が死んだとて学の風は等しく吹いて、到る処で風車を廻すだらう。自分の生死がどれ位学界に影響するかを思ふとき、冷たい血が全身をめぐる思ひがする。さうだ、自分の如きものは腐る位世の中に落ちこぼれて居るのだ。誰も自分の死によつて痛痒を感ずるものはない。自分の為さんとする仕事くらゐは誰でもやつてのけるかも知れない。あゝさうだ。「乃公たゝずんば」の思ひは断ち切らう。天はしかし分相応の仕事を与へてくれるに違ひない。気永く待たう。
     ○
 名を知らぬ鳥の美はしき囀りを聞いて、暮れて行く空をぢつと見つめて居ると、雲の如く万感が漲り出て来る。久しく憧憬した欧洲大陸の天地を、病の床で見むことは予期せざりしも、もし自分が助つて今を追憶した時、如何程思出多いだらう。よしんばそれが傷けられた過去であつても、その印象は咯いた血の色と共に深く刻みつけられて居るから、如何にか物凄いものとなるであらう。願くは平凡なる生を離れよ。波瀾多きは人生の誇りであらう。
     ○
 順調といふことを他人はいふ。自分が今迄順調に来たと、ある人は考へる。果して順調であつたであらうか。人は自分が曽つて病を得て湘南の辺に養生してゐたことは忘れてゐる。青春の血液を徒らに腐らせてその濁りをすましつゝあつた努力は、到底人の及び知り得る所でない。なる程形式は順調かも知れない。然し、その形式を順調たらしめた苦しみは誰が知らう。

六月二日
     ○
 何分多量の出血の後、流動食ばかりなので、脚などは鶴のそれのやうに痩せて了つた。実際見る影もなく情なく細つて了つた。これも致し方がない。気永に肥え太らう。こんなに痩せては頭脳も衰へはせぬかと気にかゝる。たゞ一つたよりにする脳に故障が出来ては立つ瀬がなくなつて了ふ。然し幸に頭蓋骨の中はいつも冴えた様な気持で読書してもよく入る。あゝわが唯一の頼みなる頭脳よ。今暫くその光を失ふ勿れ。
     ○
 昨日今日空はどんよりと曇つて、かゝる日は気分も不尠悪い。なつかしき太陽よ、その光線は慈愛と栄養とより成る忝けなき太陽よ、願くば我を照して再びこの苦より救ひたまへ。思ふ片瀬の砂の上に澄みたる空から迸る陽光に照らされし日のいかに楽しかりしよ。故国の初夏!
     ○
 亡き友の夢に入るこそなつかしけれ。昨夜相田俊一君と倫敦で語つた夢を見た。三月のある日他の友よりの通信にて初めて知つた俊一君の訃は、遠く離れしことゝてまだ信ずることが出来ぬやうな気持となることが屡々だ。君がありし日の数々を思てひそかに枕を濡らすこと幾度ぞ。死する者に幸多かれ。生き残りし者に苦しみ多かれ。安きを願はゞ早く死すべし。
     ○
 病める徒然に花を贈らるゝ程楽しきものはない。贈る人の心は花の色よりも濃く、花の香も尊し。尾見博士より贈られし躑躅はその花散りて跡なけれど、緑の葉を通じて見る博士の心根は、涙と共に常に感謝する。マダムデリールいぬる日白きカーネーシヨンを齎らさる。奥床しき香は如何ばかりわが毒血を澄ませしぞや。病める者の心理は、健かなるものよりも遙かにその感情の増すを見る。志は松の葉にも包むべし。僅かなる所に人情の尊さは横はる。さうだ、自分もこの心の修養を積まねばならぬ。
     ○
 島教授の日毎の訪問はなつかしいものゝ一つだ。始めて巴里で知己となつて而もこの親切は生涯忘れてはならぬ。たゞボンヤリと床に横はる私には訪ふ人の顔見るのみが誠に楽しきものゝ一つだ。幸多きわが身よ。多くの友ありて、わが恢復を祈りくれる。自分は一九二〇年の五、六月を一生忘れてならぬ。
     ○
 学友谷口兄の手紙は真情の溢るゝものであつた。自分は同兄よりの消息を待ちに待てども来らず、遂に堪えかねて問合せたその同じ日に手紙は来た。自分は忽ち返事を書いた。同兄はいふ、自失して為す所を知らずと。その言葉の本当なることを自分が知り得る程、二人はよく了解して居つたのだ。同兄より手紙が来ぬと自分は真に寂しい。

六月三日
     ○
 何がうまいといつても果物ほど自分にとつてうまいものはない。彼等の味はジエヌインである。ヴイタミンがあるといふやうな問題ではなく、其処にはセレスチアルな味がある。殊に病床に横はつて軽い発熱のある時、その美はしい色は、いかばかり自分を慰むるやら知れない。プラム、アプリコツト、グレープ、ストロベリー、ピーチなどの透き通る様な各特種の色!! 何万年間の昔、自分の先祖は主として野生の果物に養はれたといふ、深い縁故があるのだもの無理はない。
     ○
 自分の好きな色はスペクトルの右の端に近い色だ、紫と青、何れもその光線の波長が小さいから可愛いといふのではない。またこれ等が化学的の作用が強いから懐しいといふわけでもない。たゞ何となく好まれる。自分の大好きな海、晴れ渡つた空はいはずもがな、春を抽んずる紫でなくとも、ホルムズが“blue carbuncle”でなくとも、忘れな草の薄むらさきCorn flowerの濃紫はこの頃からの自分の病室に飾られて唯一の慰めの友となつてゐる。
     ○
 旅の悲しさには、読みたい書物の手許にないことである。自分は何だか『平家物語』が読むで見たい気がする。あゝした軟かい悲しい物語が、今の自分の気持にしつくりあふやうに思はれる。暇さへあると『大原御幸』の一節を暗誦して見る。そして若かつた時を思出す。『平家物語』そのものよりも、これを楽しみ読むだ時代の追想が自分にとりてなつかしいのかも知れぬ。それにしても忠教の都落ちや、海辺くんだりあたりの美はしき文学にどうかして接して見たいと思ふ。これも及ばぬ願ひだ。
     ○
 よろゝゝとベツトを離れて、窓際のアームチエーアに凭りかゝり乍ら、六月の太陽の慈光に浴びる。そこにはいひしれぬ歓喜の情が浮ぶ。あゝさり乍ら弱り果てたる今の我が身にとりて、あまりに強き光なるを如何にせむ。
     ○
 道行く人々の楽しげなるを見る時、流石に羨望の情に堪えぬ。よしやわれに悟るところあつても、病人はやはり病院に置くを適当とすべきやうである。言ふ勿れ、弱者の言!! 眼を閉づれば直ちに別世界に入るものを。果敢き我が心かな。汝の眼を閉ぢよ。汝の耳を塞げ。
     ○
 自分の部屋には中折れと冬外套がそのまゝ掛けられてあるのに、訪ねてくれる友は麦稈帽を携へてゐる。軽い背広に、ストローハツトを頂いて、シヤンゼリゼーに杖を曳いたなどゝ――吁、これも妄想だ。楽はわが心のうちにあるものを、たよりなきわが心かな。

六月九日
     ○
 血に啼くと誰か言ひけむ血は胸に鳴りつゝ出でし巴里の五月
     ○
 身の終り遠からじとぞ思ひけるグラスを充てし血を見つめつゝ
     ○
 血を咯けば血をはく思ひありもせで血を咯かまじと思ひぬるのみ
     ○
 また来むと契りし友の来る日のみ待たれて逢へば話得ならず
     ○
 訪ふ友と話得ならずたゞぢつと顔をにらめて友を困らす
     ○
 夕暮は殊更さびし六月の巴里の雲のうす寒き日の
     ○
 マロニヱの花さかる頃ルーブルの名画見し日の楽しかりしよ
     ○
 夢さめし暁鳩の声きけば身を仰向けにふるさと思ふ
     ○
 今日もまた仰向けのまゝ暮れにけり車馬の響の絶え間なくして
     ○
 矢の如き帰心なれども妻や子にやつれし姿見られともなし
     ○
 神あらば笑ひ給はむ治りけむ日のみをしのぶ愚かなる身を
     ○
 「覚悟せよ」と妻に送れる文の中帰る予定の日取書きたり
     ○
 ともすれば冷たき涙頬に這ふ何の故かはわかり得ずして
     ○
 花に散る日あれどこの身は花ならず消ゆる日遠し遠しとぞ思ふ

六月十日
     ○
 去る四日小出血ありて絶対安静を命ぜられ、仰向けのまゝ今日で凡そ一週間を過ぎた。流動食ばかりなので、身体は益々痩せて行く。然し、不思議にも頭は冴えて、色々の想のみ雲の如く移り変り、また湧き出づ。自分はどうしても自分が書かむとして居る仕事を終らぬうちは死んではならぬ。あゝ早くその仕事にとりかゝりたい。
     ○
 自分はもう久しく月を見ない。かうしてデプレツシブな床の上に寝て居ると、あの青白いやさしい光に照らされて見たい。如何ほど懐しいものであらう。「明月何皎々、照我罹牀衣」の句がまたしても思ひ浮ばれる。さうだ、外国に居る間月といふ月に一向出逢はなかつた。それはあまりに製作に忙しかつたからである。あゝもし幸ひに回復せば、月よ、われは再び汝が子である。
   静かなる夜半のふし戸をもる光
       月なりせばと思ひぬるかな

六月十一日

 昨夜不眠、為に歌あり。

 眠られぬ夜はいとかなし身動きは出来ず心は眠らむとして
 苦しみよ来れといへど眠られぬ苦しみだけは御免蒙る
 看護婦はスヤゝゝ眠る自の心臓の音はいよゝゝ冴えて
 モヒあらば注射してほし時はこれ正に午前の三時半なり
 言葉さへよく通じなば看護婦を叩き起して語らむものを
 脈博を数へて見なば眠り得む百あまりにて眼開きぬ

六月十二日
     ○
   在巴黎得病
 緑樹街頭静意(※3) 愁顔牀上夕陽斜
 誰憐出国三年後 万里客中咯血華

六月十四日
     ○
 この思ひいかにあらはすべきものか詩にか歌にかはたかくさむか
     ○
 あせるまで身は千金を思へどもやゝともすればあつき汗かく
     ○
 妻よりのたよりはうれしさり乍らわがいたつきを知らぬぞ悲し
     ○
 わが子にもいまだ得逢はず三千里客楼の夏病重りぬ
     ○
 午さがり訪ふ客はなし雲脚の早く日脚の遅きをかこつ
     ○
 曇り易くまた晴れ易き巴里の空わがいたつきもかくあらまはし
     ○
 いつなほることぞと問へど答ふるは夕暮ちかき鳥の囀り
     ○
 ラスキンの書を読みあきて氷噛む口には三十七度半なり
     ○
 さとれわれ身は一塊の肉と骨打ち捨てゝ見よ天は拾はむ
     ○
 なほるのだなほして見せむ去り乍ら緋色の痰をいかにせむかも
     ○
 無心なる子等のわめきを聞き入りてわれも罪なき思ひにふける
     ○
 飛行機は飛びぬあとにて日本まで幾日かゝるか数へて見たり
     ○
 ほとゝぎす巴里に翼破りけり

六月十五日
 マダムデリール今日チーパーチーをホテルに開き余も招かれしが、まだ起き得ず、マダムヂユクロー、マダムメチニコツフ、の二婦人マダムデリールの紹介にて見舞に我が室に来られつ。

 知らざりし人々なれど心より親しき友のめぐみ覚えぬ
 知らぬ土地知らぬ人等の中にありて身はことさらに幸多きかな

   マダムデリールに
 あはれこの身今日のまどひに侍りかねて彩雲多き夕空仰ぐ

六月十六日
 今日は父上の命日だ。別れて十有五年今日ほどしみゞゝ父を思つたことはない。今日一日を父上のなつかしい思出に暮さう。
     ○
   明治三十八年六月十六日父君溘焉逝
 雄姿長這後 十有五星霜
 往昔只如夢 遺言在臆香
     ○
 思ふまゝありし昔をしのびなむ十五年目の父の命日

六月二十日
 自分は此頃随分色々なものを読んだ。然しながらどうも彼等は自分の満足を購ひ得ない。ラスキンや英詩集、ユーゴー、ヂツケンス、聖書、一つも自分の胸にハタとこたへるものはない。読む代りに作らうか(ウオーヅウオースのやうに)、あゝこれも今の自分にとつては苦痛だ。どうしたらよからう。一そ凡てを超越するか、読むで自分にひしと応えぬほどさびしい事はない。友を失つたやうにさびしいものだ。
     ○
 自分には愛読書といふものがない。何故だらう。比較的多く読むだのは親鸞とハイネだらう。これさへ今は自分の手許にないのだ。あゝ実にさびしい。何人が自分の魂を奪ふか? あゝ打つかるまで待たう。

六月二十一日
 人間には幾種類かあつて、却々さう容易に出来ぬが、自分には殊更に二種類が眼につく。その一は始め出逢つた時は誠にエライと感心して、二度三度と逢ふと少しも感心しなくなる人間と、他の一はその反対に始め逢つた時は左程に思はぬでも、逢ふ度毎に感心の程度が増してその奥底がはかり知られざる人間とである。世の所謂才子なるものは多くは前者の型の人で世間をうまく胡魔化してとほる人だ。こんなのは幾らあつても国のためや学問のためにはならぬ。日本に後者の型の人間が少しでもふえたら、もつと立派な学術的研究が出来るだらう。
     ○
 学問と名誉とを一緒にして考へる人間は、学者ではない。日本の学制はこの点に於いて非学者を多く作り易い。どうせ学問を飯の種にしようといふ連中ばかりだ。世は澆季だといふ感が益々深くなる。せめて自分はもう少し厳粛な考へを以つて日が暮してみたい。パストールやフアラデーのやうな心がけの万分の一でもよいから真似がして見たい。修養せよ、修養せむ。

(※1)さんずいに「賤」。
(※2)本文ママ。
(※3)表示不能。貝偏に「余」?

底本:『小酒井不木全集 第八巻』(改造社・昭和4年12月30日発行)