メニューに戻る

日記

思ふことなど

五月二十七日
     ○
 四月の末の日曜日に、フイフス、アベニユーあたりのある活動写真でチヤプリンを見た。それが忘れもせぬ大正六年九月三十日、新旧学長送別会の余興に見たそれであつた。あの時の新旧学長二人共もはやこの世を去つてしまはれた。あの会場までがあくる夜大風の為跡方もなく消えて了つたのを思ひ合せると如何にもはかない感じが胸に浮ぶ。あゝたゞ人は名が惜しい。短い人生だと自覚すると一刻も愚図々々しては居られなくなる。あゝ努力しよう。
     ○
 比較的気持よく感じたのは春洋丸の甲板から、ホノルゝの街と其の背景の布哇島の緑の日光に照らされて居るのを眺めたのと(始めて陸を見た喜び)、友と三人ワシントンオベリスクの絶頂からワシントン府を一目に見下した時とである。リンカーンの墓が如何にも強いインスピレーシヨンを与へてくれた。たしか風が強くて少し寒い感じがしたと思つた。カルフオルニア大学の塔から黄金門を眺めたのもまた嬉しい思ひ出!
     ○
 ニューヨークで街を通つて居るとフトhair dyeのサムプルが見つかつた。赤と鳶色と黒との三色、それはこちらの人にはあたり前だらうけれど、日本では赤く染めて見やうなどと思ふ人は居ないからネ。人種が違へば自ら品も変る。それにしても硝酸銀ならば黒くよりならぬのだが、どんな色素をつかつて居るものか。
     ○
 アメリカ人の好きなものはリバアチーにデモクラシー、チウインガムにブルドツグ、外に万国人に共通でアメリカ人に殊に著しいものは……もう言はなくてもわかつて居るだらう。その外おまけにチヤアリイ・チヤプリン。
     ○
 四十二丁目と五アベニユーの角を一日に二万五千の自動車が通るさうな。
     ○
 Dollars for Lives, Can you refuse? といふのが五月廿日から廿七日までのレツド クロツ スウイークに殊に眼につく掲示である。こんど徴兵召集の際Lives for Dollars, Can you refuse? としては如何? アメリカ人には至極気に入るだらう。「命あつての物種」を茅原華山氏が「物あつての命種」と言つたが、この国では「金あつての命種」と露骨にいつた方がよからう。金の前には命くらゐ屁でないやうだ。
     ○
 一億万弗の赤十字寄附金が七日間(八日間の予定)に一億二千何百弗に達したなどは、さすがに賞めて置かなければなるまい。何しろ道番の巡査の団扇に赤十字などはまだしも、運送馬の頭に赤十字の徽章などは人の眼を引くうまい趣向と洒落ておかう。それにしても群衆心理応用の妙機は日本ではとても見られぬ図だ。

六月六日
     ○
 May 25 1918のSaturday Evening Post Detective storiesの中に
  “He may be right here in New York-the best hiding place in the known world.”
とある。紐育がベストハイデイングプレースなることは何人も認むる所、謎の都とはこんな所をいふのだらう。それにしても不思議な街で御座る。
     ○
 一昨日からlightless eveningだ。エーロプレーンが怖いとのことであるさうだがセーブ コールにはこれ位の良法はなからう。あんなことを言つて一方で石炭を倹約するのだらう。大いにやるべし。
     ○
 アメリカへ初めて来て眼立つものは国旗である。日本ならば祭日でないと国旗は出さぬことにしてある。日本刀と同じやうに日本の精神を象徴する尊い国旗を濫用してはいかぬといふ日本の掟かも知れぬ……実際アメリカでは国旗の濫用を思はしむる。ボンネツトに挿す(?)菓子にさす、果は腰巻にする……グツドアイヂアだ。誰か街頭の並木の下に転がつて居る最愛の犬の糞にタイニーな国旗を挿す勇気を敢てするものはないか。
     ○
 極端な例として四月の十三日に雪が降つたのに一月たゝぬうちに熱射病を起した老人がある。
     ○
 活動写真でよく同じピクチユアにぶつかつて困る。同じピクチユアで飽かぬものはやはりチヤプリン!!
     ○
 高いものは猶太人の鼻、ウールウオース、女の靴のかゝと、シヤンパン、低いものはブルドツグの鼻。

六月十六日
     ○
 今日William Macmichaelの“Gold headed Cane”を読む。その内Radcliffeの伝の中にRadcliffeの言葉として、
  “The Doctor should go out at one door when the Clergyman enters in at the other.”
の語は真に味ふべきである。現代の世は医師道徳が廃れたこと夥しくこの精神あるもの幾人ぞ。黄金万能のこの地にありてこの言を聞くは、久し振の清涼剤であつた。
     ○
 Victory SrinityとはW. S. S.とLiberty BondとConservation Ruleだと近ごろ活動写真で覚えた所、兎に角やるべし、やるべし。

八月一日
     ○
 ボストンなる松本洞水氏に

 霖雨思君夕
 哀々緑酒杯
 出楼望東北
 寂寞独徘徊

八月四日
 同じく。

   巴孫江
 巴孫江畔夕陽斜
 綾白羅紅似玉華
 鉄笛一声払塵去
 為誰設席美人車

   偶感
 痩身一片蔵清魂
 出国半年遊学園
 不語功名事風月
 天涯孤客泣黄昏
     ○
 藤浪兄から送つて来た中央公論に菊池寛氏の小説「無名作家の日記」といふのがあつた。その中に引いてあるアナトール・フランスの言はいつもながら痛快を覚えた、それは「太陽の熱が冷えると、地球も冷えて人類は死滅するが案外地中の蚯蚓は生きのびるかも知れぬ。するとシエクスピーアの戯曲も、ミケランゼロの彫刻も蚯蚓に笑はれるかも知れぬ」と実に腹の底まで喰ひ入るやうだ。たゞに一片の痛快なる皮肉とのみ受取ることが出来ぬ。この頃も野口氏等と集会の席上で、結核菌の名は残るもコツホは忘れられる。ヂフテリー菌の名は残るもレフレルの名は忘れられる。実に後世に名を為すものは幾度ぞ。かゝることを思ふとき我等はやはり刹那主義者たるを欲する。過去の憧憬理想の建設、これが如何程の価値のあるものぞ。現在に心ゆくまゝに生くる――痛快ではないか。自分は現在に努力する、その努力こそ自分に無限の愉快を与へてくれる。我もまた人なり。
     ○
   弔中村雅次郎君急死
 秋風吹処恨綿々   何事奪君十月天
 思歿八千余里外   遊魂今在故山辺

底本:『小酒井不木全集 第八巻』(改造社・昭和4年12月30日発行)